仙台勢が登壇します/第15回市民メディア全国交流集会(湘南ひらつかメディフェス)

市民メディアに関心のある人たちが年に1回、一堂に会する「市民メディア全国交流集会(湘南ひらつかメディフェス)」が15回目のことし(2017年)は12月9、10 の両日、神奈川県平塚市の平塚市美術館などを会場に開かれます。

http://www.scn-net.ne.jp/~medifes2017/

今回は2日目の10日午後2時50分からの分科会「仙台・東北からのメディア表現・発信」に参加します。メディフェスには古巣の新聞社時代に3回参加しました。時には「オールドメディア」とも呼ばれる地方新聞社での仕事を相対化するのに大いに役立ちました。自分が属しているメディアの世界は百年以上の歴史があって、ずいぶんと大層な仕掛けだと思っているかもしれないが、メディア世界の立ち位置は無限に近いほどのものがあるのだし、これからどう変わるか分からんよ。と、まあ、そんな感じを抱かせてくれる場となったのを思い出します。

今回はフリーになってから一人で運営している「メディアプロジェクト仙台」の関係者(?)として参加します。東北発のオンラインメディア「TOHOKU360」を設立した合同会社「イーストタイムズ(THE EAST TIMES)」と、多様なメディアアクティビティを仕掛けているNPO法人「メディアージ」のみなさんと一緒に登壇します。

もちろん主役は「360」と「メディアージ」の若きプレイヤーたちです。彼らにとって参考になる事例は世界中にありますが、何か一つ定まった教科書があるわけではありません。自らの感性を頼りに手探りするプロセスは始まったばかり。突っ込みどころも多数あるはずですが、メディフェスに参加するみなさんとのコミュニケーションを通じて、地域メディアの魅力や可能性を感じられれば幸いです。進行はメディフェスの呼びかけ人でもある関本英太郎さんです。お時間のある方はぜひおいでください。

なお、拙著「仙台発ローカルメディア最前線」に目を通してから参加してもらえると理解が速いはずです。アマゾンから紙の本でも電子書籍でもお求めになれます。PRになって申し訳ありません。

 【写真】11月11日に仙台で開かれた「せんだいメディアフェスティバル」の風景。この1年の間に起きた出来事を出し合い、仙台・宮城・東北に住んでいるからこそ分かる流行語(言葉)ランキングを作った。

 

地域に由来するメディアの優位性/武蔵大学松本恭幸ゼミのみなさんからの質問(12)-(17・完)

【質問(12)】地域ごとに異なる特徴をもち、それが上手くインターネットやデジタル化していくことにより何か新しくできることとして考えられる事があれば教えて頂きたいです。

【答え】ネット社会を特徴づけるキーワードがいくつもあります。たとえば現時点で言えば「ソーシャルメディア」「なりすまし」「フェイクニュース」などでしょうか。それらを自らのメディア戦略に自分らしくしっかり取り入れることです。

同時に考えなければならないのは、従来からのマスメディア批判、ジャーナリズム批判に対する回答提案を可能な範囲で一気に行うことです。

自分自身を振り返っても、インターネットが登場して以来、新しい技術やサービスに追いつくことだけを考えてきました。自分の立ち位置が何かと比べて遅れているかもしれないと、自ら規定する発想にとらわれすぎました。ネット社会では、既存のメディア批判、たとえば新聞ジャーナリズムに対する従来からの批判の論点がより深く、圧倒的な広がりを持ってしまいました。

既存のメディアに携わる人たちは、ネット社会がもたらした変化の意味をしっかりとらえ、一つひとつの批判にこたえていく責任があります。地域に由来するメディアであればこそ可能な回答提案がきっとあるはずです。技術的にできないことはありません。その気になりさえすれば、漠然と考えていた地域社会が「創造と発想とチャレンジ」の世界に様変わりすることでしょう。

【質問(13)】地方紙は今の段階でどれほどデジタル化、インターネットの導入を進めてきたかを伺わせてください。できれば、時系列順で伺いたいです。インターネットが日本で使われるようになってから20年が経過し、どのようなきっかけがあってインターネットを導入しなければならないと考えに至り、導入していく過程でどのようなことがあったかを含めて伺わせてください。

【答え】地方紙のありように結びつけて、あらためて考える作業が必要です。今後の課題と受け止めさせてください。ネット草創期の出来事として個人的にまず思い浮かぶのは以下の3点です。

● インターネット以前にパソコン通信が盛り上がった。

●米国でインターネットが注目されていると日本のメディアが報じた。このころはテレビでたまに映る大リーグの中継でグラウンドフェンスなどに「http://www.aaa.com」の表示を見つけては「ああ、あれがインターネットか」と感心したものだった。

●日本新聞協会の案内で日本の新聞関係者が米国の新聞社等を視察をした。地方紙はこの時点でネットについての業務指示が出始めた。

【質問(14)】地方紙の立場から考えることのできる地域の課題について教えてください。また、それに対する解決を与えるきっかけを地方紙はできるのかといった点も伺わせてください。

【答え】

(略)

【質問(15)】今後、地域にメディアが上手く活用されていくうえで、必要になってくることがあれば教えて頂きたいです。

【答え】専門的なトレーニングを受けた人たちだけではなく、ごく普通に暮らしている人たちもメディアに参加できる環境をつくることを考えるべきです。マスメディアからソーシャルメディアまで、多様に重層的に存在するネットワーク社会を地域のために開発する必要があります。

市民参加のメディアの世界は歴史もあり、さまざまなコンセプト、スタイルが既に存在します。世界中の市民メディア事例が可視化され、地域に根差したメディアおこし、メディア開発をサポートする環境ができればいい。拙著「仙台発ローカルメディア最前線」で紹介した事例には、そうした方向を模索するうえで重要と思われるヒントや手掛かりが多数潜んでいます。

【質問(16)】地域社会で今後新たに生まれてきそうな地域メディアがあれば教えていただきたいです。また、今注目している地域メディアに関する動きというものも伺いたいです。

【答え】どんなメディアがありうるかは、人々の思いや実践のパワーと密接に関係するのでひと口で説明するのは難しいのですが、デジタルやネット系の技術開発、人工知能の発達まで、長いレンジで考えれば、地域メディアの可能性やそれがもたらす楽しさは計り知れません。たとえばスマホアプリの技術が既に到達している水準は、かつてのパソコン通信時代から見ると、ほとんど夢の世界であり、奇跡に近いものです。こうした技術要素に「地域」「ローカル」を掛け算し、「20年後」「30年後」をさらに掛けたときの地方新聞社のビジョンを、新聞社の現場を支える人たち自らが生み出さないかぎり、道は開けません。

【質問(17・完)】地方紙の未来について伺いたいです。今後、インターネットの活用の仕方やデジタル化が大きな課題の一つになっていることだと思います。もし、それが達成されなかったときに地方紙はどうなってしまっているのか。また、上手く活用できた先にある地方紙、地域社会がどのようなものになるかをお聞きしたいです。

【答え】ネットやデジタル化に地方紙が対応できない場合を想定するのは、新聞出身としてはなかなか厳しいものがあります。それについての答えは、学生のみなさん、学生予備軍の若い皆さんの心の中にあります。みなさんはどんなメディア社会を望みますか?

新聞社OBとしては、たとえ高価でも、どうしても必要なものとして一部一部、買ってもらえればうれしいと思います。新聞パッケージとしての姿にあくまでこだわる高級消費の世界はあるかもしれませんが、現在の新聞社の経営が直線的に(あるいは曲線的に)そこにたどり着くことはないでしょう。ビジネスモデルとしては、その前に新聞発行を停止する判断が下るはずです。

今、地方新聞社の現場に携わる人たちのことを考えれば、地方新聞社が新聞を何とか発行し続け、デジタル市場にも対応できる形が最も穏便なわけです。しかし、本当に新聞は高いお金を払っても、消費者が欲しいと思うメディアになりえるでしょうか。その場合、新聞がなくなることで果たして誰が不幸になるのかというポイントもあります。いわゆる新聞批判、ジャーナリズム批判に耳を傾けながら、その厳しい山を乗り越えることができるかどうかが問われます。

地域に由来する新聞社はただちに新聞に代わるメディア事業の開発に向かって進まなければなりません。その道は容易ではないはずですが、新聞というパッケージ自体が有する蓄積にさまざま変数をかける楽しみがあります。地域に由来すること自体が、実は大きな可能性、優位性となる点も忘れてはいけないと思います。

ネット社会と一言で言っても、20年前と同じではありません。技術の進歩が目まぐるしいことは同じですが、ネット社会に対する消費者の態度-メディアの運営に携わる人々も含めて-も異なります。いますぐに試行錯誤を始め、多くのプレイヤーたちとネットワークを組みながら解決策を探る以外にありません。新聞社特有の、自らはちょっと高みにいる姿勢だけはまず改める必要があるでしょう。

 武蔵大学の松本恭幸ゼミのみなさんとのやりとりは以上です。お付き合いいただきありがとうございました。

地方新聞社の可能性は自らを開く過程にあり/武蔵大学松本恭幸ゼミのみなさんからの質問(9)-(11)

【質問(9)】地方紙が地域メディアとしての役割を今以上に有効にするために考えられる課題、そしてこれからの展望を教えてください。

【答え】地方紙が今後、どうすべきかについて答えの半分は既に出ていますが、その答えを有効な形で組み合わせるには、地方紙がよって立つ地域の特性、人々の表情、文化や歴史、産業・経済、政治も含めて、より具体的に参照する必要があります。同じ「地方紙」「地方新聞社」と言っても、すべて事情は異なります。1社1社について具体的にひざ詰めで論じる中から方向性が見えるはずです。

地方新聞社にかかわる人たちの中で、自分たちに固有の環境について意識しない人はいないと思いますが、インターネットが登場して以来、外国の事例や、いわゆる全国紙など先進的といわれる事例を追いかけようとする傾向があまりにも強すぎました。新しい技術や価値観が支配的になっているとはいえ、変わらなければならないのは地方新聞社そのものです。自らを取り巻く環境も含めた全体がそのまま大きなチャンスになることにまず気付く必要があります。

先進事例を常に気にし、追いかけるだけの態度からは、他社との条件の違いをネガティブにとらえる空気しか生まれません。その結果、泣き言を言ったり、あきらめてしまったりの悪循環に陥り、せっかく与えられている地域との関係性や、そこで暮らす人々とのコラボレーションの機会をみすみす失ってしまいがちです。

【質問(10)】地方紙がこれまでに築いてきた功績であったり、その地域に住む住民にどのような影響を与えてきたか。それが、インターネットを活用してくることによってどんな良い状況を生み、どんなリスクを生むことになるのかを伺わせてください。

【答え】現状の地方紙の最大の問題は、長い時間をかけて培ってきた「功績」や「影響」を紙(新聞)の世界に閉じ込めようとしている点です。なぜ、インターネットの活用というシナリオ、テーブルに、それらを乗せようとしないのか。

この場合、たとえば新聞記事と同じものをネットに再掲したり横流ししたりすることを意味しているわけではありません。ネットにはネットの、デジタルにはデジタルの流儀があるので、新聞がそのままで「大したものだ」「価値がある」と自画自賛的に考え、ネットの流儀を軽視するとしたら完全な間違いです。そんな態度では、その程度でもビジネスのネタにしたいネット企業に安価に買いたたかれるだけです。

さらに深刻で重要なのは、新聞社のコンテンツを求める消費者の好みやシチュエーションが常に変わることに気付いていない点です。「ネットは儲からない」と勘違いをして、デジタル戦線を縮小しにかかっているような新聞界のリーダーの責任が大きいのはこの点にあります。

ささやかながら貴重なネット経験・デジタル経験を積み上げ、消費者のニーズにこたえるだけの能力をもった社員がこの10年の努力で少しは育ったはずなのに、貴重な芽吹きを残らず切り取ってしまうような暴挙が見られるのは極めて残念です。今の地方紙にネット社会の消費者のニーズについて考慮し、ハンドリングできる人材がどれだけ育っているかを、もっと気にした方がいいでしょう。

【質問(11)】地方紙がまずやるべきメディア環境の整備やデジタル化は、どの分野で導入されるべきかを伺わせてください。例えば、それは地域紙の過去の記事をアーカイブして、データ化し、誰でも閲覧可能な体制を作るべきなのかといったように、過去の記事などをうまく活用していく方法、または、現在起きていることをインターネットに記事投稿をする分野で先に導入をしていくべきなのか。そこの部分の考えをお聞きしたいです。

【答え】この質問は、新聞社でも、比較的まじめにものを考えている人からよく聞かれます。しかし、この点でも、地方新聞社を取り巻く環境や経営の意識、社員の力量、地域社会におけるメディアとしての振る舞い方などを総合して考えなければなりません。

新聞社の事情によって採用すべき手法はいくらでもありますが、何度も申し上げている通り、世界観がどのようなものなのか、何を目標にしたいと思っているのかによって、道は異なります。

フリーになってからの取材に基づいて一般論として言えば、地方新聞社の可能性は、自らを社会に向かって開いていく過程で見えてくるはずです。その過程で見えてくるビジョンを支える「武器」は予想以上に多いし、非常に楽しみな世界でもあるはずです。

まず、消費者(インターネットユーザー)が何を望んでいるかを、真摯にとらえることから試行錯誤を始めるべきでしょう。この10年の間、新聞界が陥ってきた製造者の都合を優先する論理を、依然として振り回すようではどうしようもありません。

それと重要なことは、新聞購読者が減少する傾向にあって、新聞を将来的にどうしたいのかについてはっきりしたデザインと目標がなければなりません。部数だけでなく、購読者に届ける形も含めて想像力を働かせるべきです。「購読者」とは別に存在する「読者」をどうとらえるかも重要です。

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ネット対応、編集が本気にならない限り無理/武蔵大学松本恭幸ゼミのみなさんからの質問(6)-(8)

(2017年10月25日、都内東京ガーデンテラス紀尾井町「LODGE」で開かれたトークイベント「地方紙から考えるこれからの地域メディアと地域社会」の際、企画した武蔵大学社会学部メディア社会学科・松本ゼミの学生さんから出された質問に対する回答です。地方新聞の未来を正面から考えようとする学生たちの表情がまぶしいひとときでした)

【質問(6)】様々な地域メディアが今まで生まれてきたと思うのですが、その事例について伺わせてください。(ご自身が関わったものであったり、関わっていなくても面白い事や参考になったと思う事例などを教えて下さい。

【答え】(略)

【質問(7)】地域新聞社及び全国の新聞社がインターネットを導入することを受け入れなかった背景にはどういったことがあるのか伺わせてください。

【答え】もちろん、ごく例外的には戦略的な判断を経てデジタル化に向かっているケースもあります。しかしながら、特に地域に由来する新聞社群の中で、今もなおデジタル化を「受け入れ」られないでいる事例が存在するとしたら、それはもう看過できることではないように思います。ネット社会、デジタル社会が到来するのが分かっていて、そのことへの対応を怠ってきたとしたら、取材を得意とする新聞社にはあるまじき行為です。

新聞社がネットを受け入れられない理由はさまざまですが、経営トップの判断のレベルで言えば「ネットは儲からない」と判断したことが大きな理由のようです。

でも、新聞という、たった一つの商品しか持たずに百年以上も仕事をしてきた企業体がネットを簡単にビジネスにできると考える方が間違いです。新聞も新聞社も大きな意味のデジタル社会で生き残る必要があるとの時代観というか、大局観があれば、10年、20年、30年の長期的な目標を設定し、そのときどきのリソースを組み合わせながら取り組んだはずです。取材を得意とする新聞人のはずなのに、そのような意味での大局観がないままに、自分の任期さえ無難に過ぎれば御の字と考えるとしたら、やはり無責任としかいいようがありません。

特に重要なのは編集部門の「食わず嫌い」です。百年以上の実績を持つ新聞というパッケージを愛するあまり、インターネットは新聞を駄目にするという、根拠のない考えに支配されてしまいました。

今ごろ繰り返すのもこっけいですが、ネットは新聞を駆逐するのではなく、ネット環境が新しい価値、新しい環境、新しいライフスタイルを提供し、その結果としてメディアの選別が起きるだけです。ネットと新聞は決して「原因と結果」ではありません。

何と言っても、新聞社の力は、編集の現場が担います。新聞あるいは新聞社の未来をデザインしようというときに、肝心の編集が動かないのでは話になりません。戦いになりません。地方新聞社の次の10年を考えるとき、編集が本当に本気にならないと完全にアウトです。

【質問(8)】地方紙は地域メディアの中でどの立ち位置に今の段階であるのか、そして今後の展望としてどの立ち位置にいくと考えられるかを伺わせてください。また、地方紙のほかに地域メディアを担っている、もしくは、これから担っていくと考えられるメディアがあれば教えて頂きたいです。

【答え】この問題に答えるには、地方紙に携わる人たちがデジタル社会あるいはネット社会に向かってどうしたいのかをまず問う必要があります。何度も繰り返しますが「世界観」です。地方紙の現場を支える人たち自身の問題です。誰の問題でもない。専門家らしき人を探し求めても駄目です。地方紙の多様性や地域の実情を踏まえたうえで具体的に提案できる力は誰にもありません。まず、自らの問題としてとらえ直し、インターネットやデジタルがどのようなものなのかを自らに引き付けて理解する必要があります。それと、いわゆるイノベーションについて理解し、企業体としての新聞社をテーマとして位置づけることから逃げてはいけません。

地方新聞社で育ててもらった関係もあり、個人的にも地方紙の将来はメーンテーマの一つです。新聞社を卒業し、フリーになってからは、ほとんどすべてのエネルギーをそのために割いてきました。だから、提案は幾つもありますが、今の地方新聞社の経営や現場の第一線は、イノベーション路線とは逆の方向に向かっているようなので、外部からいくら言っても恐らく無理なような気がしています。耳を傾けるつもりがなければ、外からもたらされるはずの情報がどんなにあっても届きません。そんなことを主張した有名な書籍のタイトルを思い出します。

奇跡がいますぐ起きて地方紙のリーダーがその気になったとしたら、参考にすべき人や発想は、地方紙の足元、自らがよって立つ地域から生まれることでしょう。今回のセッションの契機の一つとなった拙著「仙台発ローカルメディア最前線」は、そのことに気付いている人に真剣に読んでもらえれば、地方新聞社が向かうべき方向性がほのかに分かるように書いています。

ただし、書いてある事例や分析を単純に真似ようとしても駄目です。何かを絶対的、確定的な形で教えようなどと、頭の高い考えを抱いているわけではありません。読む人が自らの頭と手と足を使って動くための刺激リストのようなものです。ただし、あくまで「奇跡が」起きればの話です。どうでしょうか。

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ローカルメディアの連携/仙台メディアフェスティバル

 地域メディアの運営や取材・編集等に携わる団体や個人が参加する「仙台メディアフェスティバル」が2017年11月11日、仙台市若林区新寺2丁目の「TOHOKU 
MEDIA BASE」で開かれました。ネットメディア「TOHOKU360」を運営する合同会社イーストタイムズ(仙台市、中野宏一CEO)の主催です。東日本大震災以後、「TOHOKU360」を軸に連携策を模索してきた団体や個人が参加する形で実現しました。ローカルメディアを運営する地域の団体や個人が協力することで、どんな可能性が開けるのか、課題はどのあたりにあるのかを手探りしました。
 
 仙台メディアフェスティバルには、イーストタイムズと協力関係にあるNPO法人メディアージ(仙台市)のほか、小説「プロパガンダゲーム」(双葉社)を発表したばかりの仙台在住の作家、根本聡一郎さんや雑誌「宮城を視るドキュメンタリーマガジン インフォーカス」の企画・取材・編集から営業までの一切を行う、一人出版の相沢由介さんら個人も参加しました。「TOHOKU360」で提携関係にあるシンガポール経済新聞とインド・ムンバイ経済新聞の編集長を務める小里博栄さんが来日して参加。 シンガポールの週刊誌「Singalife」の飯田広介編集長もネットで参加しました。
 
 仙台発のローカルメディアの活動や背景等について理解し、既存のマスメディアをも含めた全体状況の中で位置づけようと試みました。ニュース記事を朗読するという挑戦的な試みもありました。「TOHOKU360」の通信員でもある「リーディングユニット 100グラード」の渋谷亜也さんが登壇。「仙台流行語大賞」セッションでは、この1年、仙台や宮城、東北で起きた出来事を参加者全員で出し合い、仙台・宮城・東北に住んでいるからこそ分かる流行語(言葉)ランキングを作りました。第1位は「東北でよかった」。今村雅弘復興相(当時)が東日本大震災に絡んで発言し、辞任に追い込まれました。今村発言を逆手にとって「東北で良かった」発言がネットで相次ぎました。
 全国的に話題になっている小説「プロパガンダゲーム」の著者と、たったひとりで出す雑誌「宮城を視るドキュメンタリーマガジン インフォーカス」の著者が登壇したの
は「みんなで作るメディアの未来」セッション。個人がメディアとなる、創造の世界で、フィクションやノンフィクションを手掛ける二人に、地域密着型のメディア編集経験の長いライター・編集者の経験を重ね合わせました。「本当にわれわれがメディアの未来を作るとしたら、今から何をすればいいのだろう」と発言したのは、メディアカフェ的な場の運営に長けているメディアージの漆田義孝さん。
 
 「ローカルとグローバルがつながる」をテーマに掲げた世界通信員会議では、TOHOKU360の提携先であるシンガポールとインドのメディア関係者も参加し、「ローカル」と「グローバル」がごく自然につながるメディアのあり方について考えました。小里博栄ムンバイ経済新聞編集長兼シンガポール経済新聞編集長は「ものを考えなくなった日本人」としっかり向き合うことがメディアの役割と強調しました。「みんなで作るメディアの未来』セッションの際の漆田さんの発言に対する一つの答えのように聞こえました。
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 「仙台メディアフェスティバル」の会場となった「TOHOKU MEDIA BASE」はイーストタームズが開設、メディアージの活動拠点ともなります。そのほか、
メディア活動に携わる団体や個人の拠点としても利用可能にするそうです。
【写真(上)】メディアの未来とは?をめぐり充実した意見交換があった。
【写真(中)】ニュースを読む。ニュース記事によって伝わる力が違ってくる。
【写真(下)】インド、シンガポールと結んだ世界通信員会議

震災後に生まれた市民発のメディアの意味/武蔵大学松本恭幸ゼミのみなさんからの質問(5)

【質問(5)】 東日本大震災以降、新聞社以外の市民自らが紙媒体などを作り、市民の側に情報が送った。その後、そうしたひとたちの活動が基になって、新たに起きた地域におけるメディアの動きがあったかを伺わせてください。

【答え】この点で最も実績を残しているのは、きょうの機会を作っていただいた松本恭幸さん(武蔵大学社会学部)のゼミ生たちです。松本ゼミの学生たちは東日本大震災以降、被災地に足を運び、取材を続けました。

https://thepage.jp/detail/20160329-00000008-wordleaf

その成果について知るためには松本さんの著書「コミュニティメディアの新展開 東日本大震災で果たした役割をめぐって」(学文社、2016年1月)をお読みになることをおすすめします。わたし自身は、松本さんたちがリサーチした事例を意識しながらも、仙台という都市に出現した3つの事例をフォローしている最中です。松本さんたちの成果も含めて、事例を一つひとつ紹介する時間はありませんが、一点だけ留意してほしいことがあります。

それは、質問の冒頭に書いてあるように「東日本大震災以降、新聞社以外の市民自らが」メディアの開発や運営に携わりつつあることとの絡みです。

東日本大震災後の、特に、わたしがメディア局長として現場を受け持っていた河北新報社の記者・編集者や、新聞社のさまざまな現場にかかわる社員たちは、毎日、泥だらけになって被災地を回りました。自分自身や家族も大震災による大変な打撃を受けている中で、どれだけの仕事をこなし、今に至っているか。大きく評価したいと思います。単なる身びいきではないつもりです。自分と家族が暮らす大切な地域が、東日本大震災によって、かつて経験したことのない厳しさで損なわれました。被災直後から現在まで続いている記者らの行動は震災がもたらした厳しい現実に突き動かされたものでした。当時、わたしは直接現場に向かう立場を離れてだいぶたっていましたが、彼ら彼女らは本当によく戦ったと思います。

既存のメディアがあれほどのパワーを発揮し、報道したことと、松本さんのゼミ生たちがリサーチし、報道した事例の関係を、今後、どのようにとらえていくべきでしょうか。既存のメディアが不十分だったなどと、言うつもりはありません。では一体、どういうことだったのか。アカデミズムの研究者たちの力も借りながら、何としても見極めなければなりません。

一つだけいえることは、あのような規模の災害時には、平時の取材リソースを動員するだけでは追いつかないほど、過酷な現場が無数に、しかも次々と生まれてしまうことです。災害発生時はもちろんのこと、現在に至るまで、メディアが伝えるべき現場は生まれ続けているというのに、取材フォローが追い付かないとしたら、伝えるべき事柄が十分には伝わりません。ニュースや情報を本当に必要としている人たちに、適切なタイミングで、適切な質と量のコンテンツを提供できているかどうかが重要です。比較的大きなマスメディアが幾つかあれば事足りる話ではありません。地域に展開するメディアの多様性をさらに確保しながら、多様なニーズにこたえていく知恵と工夫・実践の先に、メディアの未来が初めて開かれると思うのです。

東日本大震災では、結果として多くの市民メディアが生まれ、さまざまな形で現場をフォローしました。一つひとつの事例をとってみれば、情報量や内容がプロメディアには劣るという指摘があるかもしれませんが、そうした微弱電流のようなメディアの意味にあらためて注目し、それらを支えた人たちの思いを次世代のメディア論に盛り込む必要を感じます。

ニュースや報道は、専門的な訓練を受けた記者たちの独占物ではありません。マスメディアとしての装いで消費されるだけのものがニュースではありません。利用する人が多ければそのニュースが偉いわけでもない。ニュースや報道の可能性や意味合いに触れ、利用し、参加する権利は誰にだってあるはずです。そのためにはニュースや報道について考えるうえで、ほんちょっと柔軟な発想が求められます。言葉を変えていえば、次世代型のメディア論、新しい世界観を開発する必要がある、というのが、現時点でのわたしの立場です。

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ネットのリスク、地域メディアの強み/武蔵大学松本恭幸ゼミのみなさんからの質問(3)(4)

【質問(3)】地域にインターネットを導入することにより得られると期待した事、また導入によるリスクを伺わせてください。

【答え】インターネット初期に考えたメリットは、何と言っても地方紙のニュース・情報を世界に飛ばせることです。

ジャーナリズムの世界では有名なピューリッツァ―賞がありますが、日本の新聞社にだって、それに匹敵する報道成果はいくらでもあるはずです。日本語による報道というだけで日本独自のものに終わっていますが、インターネットをうまく使えば、ローカルメディアの価値を大革新できると考えました。それがネットの初期段階です。今、考えればあまりにユートピア的で楽観的ですが、そんな将来が来ると思うと、実にワクワクしたものです。

導入によるリスクは何もなかったように思います。いざ、踏み出そうとする前に、自分では確認してもいない、根拠に乏しい「リスク」をあれこれ言い立てる人にどう対応するかの方がリスク管理上、よほど重大でした。現時点でも、ネット社会への対応は、メディアとしての、いわば必須の環境整備にすぎません。リスクを先に考えて立ち止まる余裕はないはずです。

残念ながら今となっては、もっと地道で切実な問題が重くのしかかっています。既存の地方新聞社が手をこまねいている間に世間様は、すっかり「ネット社会」仕様になってしまいました。既存メディアである地方新聞社は、ネット社会への対応の点ですっかり後れをとってしまいました。一体、今後、どう生き残ろうとしているのでしょう。

定年退職し、新聞社の現場を退いた身にかろうじて届く「風の便り」によれば、地方新聞社群がネット社会に対応するための明るい材料はほとんど見えません。はっきり言ってそれは現職のみなさんの重大なテーマなので、OBが気にすることでもないのでしょうが、やはり心配です。

私自身の個人的な立場は、自分も含めて地方新聞に集う人たちがこれまであまり目を向けてこなかった、自分がよって立つ地域のメディアアクティビティに注目しながら、5年先、10年先のメディア世界につながる世界観や具体的なメディア戦略・戦術を考えることにあります。長い間育ててくれた地方新聞社の動向を見守っていれば、ずっと先の方で連携できるのかもしれません。

【質問(4)】地域と一言で言っても文化、特色も違うのでそれぞれにオリジナリティのあるメディアが誕生していくと思います。そこで、地域に由来するメディアが生み出すことのできる強みがあれば教えて下さい。

【答え】オリジナリティや多様性が地域にあることは新聞時代も同じでした。ネット社会になって何が違うかと言えば、そのオリジナリティを文化として楽しんだり、ビジネスや商品として開発したりする可能性を飛躍的に高めたことです。そのオリジナリティを生かした文化やビジネス、商品が広大なネット社会に供給するに足るものであることは言うまでもありません。長い間、地域だけで消費されてきた価値がネットやデジタル技術によって解き放たれつつあります。これを強みと言わなくてどうするのでしょうか。

しかしながら、地方新聞社に限っていえば、インターネットが登場して以来、ほぼ20年間というもの、せっかくのオリジナリティを新聞あるいは新聞業界の都合に閉じ込めてきました。地域に由来するメディアの強みであるはずのオリジナリティを「ネット社会」仕様でコントロールするための努力を、たとえ倒れても続けなければならない20年のはずでした。今後10年、20年と続く将来も同様です。

今、「ネットはもうからない」とか言って、ネット部門を縮小しているケースがあるやに聞きますが、事ここに至って、ネットやデジタルから逃げよう、目を背けようとするリーダーたちは果たしてどんなメディア戦略を考えているのでしょうか。自分だけが1年か2年生き残ればいい、面倒なことはやりたくないというのであれば、それは、これからも新聞あるいは新聞社に集う後輩たちを置き去りにするようなものです。新聞メディアの未来を考えるうえで大きな禍根を残すことになるでしょう。

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地方新聞社がネットを使えなかったわけ/武蔵大学松本恭幸ゼミのみなさんからの質問(2)

【質問(2)】インターネットが日本に登場した当初で、日本におけるインターネットの普及がもたらした変化、またどのようなプロセスを踏んで人々に普及していったか。そして、それが地域、地域の新聞社に上手く溶け込むことが出来なかった理由を伺わせてください。

【答え】

地域の新聞社がインターネットに上手く対応できなかった最大の理由は、インターネットへの無理解です。人間は自分の尺度を超えた存在には多かれ少なかれ抵抗を覚えるものですが、新聞社、特に地域に由来する新聞社は、インターネットをわが事にあてはめる姿勢が最初から希薄でした。報道の世界に生き、社会の変化をニュース・情報として広く伝え、提供する仕事に携わっている者たちであるはずなのに、インターネットやデジタルに対する閉鎖的で頑迷な姿勢は一体どうしたことでしょうか。自社の新聞を丁寧に読んでいれば、インターネットの出現によって世界にどんなことが起きてきたか、今後、どんな影響を及ぼしそうなのか、単に抵抗して済む問題なのかどうかぐらい、分かるはずなのですが・・。

多くの日本人にとって、インターネットは米国から入ってきた環境でした。外から入ってくる価値観に対しては、「米国では・・」「英国では・・」と、「出羽の守」になり、先進事例や流行としてベターモデル化したがるのですが、インターネットの場合は最初から抵抗すべきもの、反対すべきものとして受け止められました。

報道者らしくない閉鎖的で頑迷な発想が、まるで初期値のように新聞界に広がったのには理由があります。インターネットが米国から日本に入ってきたタイミングをよく考えてみてください。インターネットが日本に紹介された当時、米国は日本より10年進んでいるとか、5年進んでいるとかよく言われたものです。つまり米国では、日本より5年、10年早くインターネットとの相克が始まりました。

米国の「先進性」ゆえに、日本に入ってきたときは、米国の既存の新聞社の、特に広告部門に対するネット企業(マイクロソフト社など)の「侵略」と、それに対する反発や恐怖心がセットになっていました。当時の米国は確かに現実でしたが、ネット出現以後、新聞社の事業に影響が出るまでに、少なくとも数年を費やしていたはずです。それなのに日本の報道機関がインターネットを紹介しようと思い立った時すでにネットの負の側面がセットになっていたわけです。

日米の時間的なタイミングの差をしっかり認識し、米国の取材を実地にその気になってやれば、既存メディアにとってインターネットがネガティブな意味を持つだけではないことがすぐに分かったはずです。

当時、米国の地域社会や地方新聞社を丹念に取材して回れば、若い世代がインターネット使って情報検索したり、論文を作成したりする光景に接することができたはずです。米国のインターネットは、まだアナログ電話回線を使ってアクセスポイントにダイヤルする環境でしたが、同じ都市内で通話する場合、いくら使っても定額料金でした。

そのため、たとえば非営利組織のオフィスをたずねると、パソコンが机の上に常に立ち上げてあり、必要に応じて何度もインターネットにアクセスしていました。企業に比べて資金力に乏しい非営利組織にとって、インターネットは情報収集や情報発信をサポートしてくれる強力な味方でした。ネット先進地と見られていたサンフランシスコでは、長い間、本を貸出しするだけだった公共図書館がネットを利用した新しい情報サービスをメーンにしはじめていました。何台も置いてあったパソコンの前には、市民が長い行列を作り、有料・無料、さまざまなタイプのデータベースを使っていたのが印象的でした。

ごく簡単に言えば、インターネットが既存メディアだけを狙い撃ちにしたわけではないという事実さえ、日本の多くの新聞関係者にはピンとこなかったようです。インターネットは初めから歓迎すべからざるものとして既存の新聞社の経営陣には受け止められていました。広く米国社会、特に若い世代にフォーカスして取材をすれば、日本の新聞関係者がこぞってネガティブな見方をしたのとは、まるで異なるインターネットの世界が見えたはずです。

取材を本職とする以上、それをしなかったのは怠慢としか言いようがありません。日本の新聞業界が致命的だったのは、もともと横並び主義というか、他社の事例を参考にしながら進む、新聞百年超の悪弊が存在し、大いなる誤解でもある「ネットネガティブ論」を、業界シフト=業界主流の発想に高めてしまった点でした。報道機関としての怠慢、視野の狭さが招いた大失策です。特に編集局の人たちに頑張ってもらいたいと思う最大の理由です。

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地方紙って何?どんな役割?/武蔵大学松本恭幸ゼミのみなさんからの質問(1)

武蔵大学社会学部の松本恭幸教授のゼミ生たちの協力で、地方紙とネット、地域と地方紙などをテーマに報告し、意見交換する機会がありました。なかなかすっきりした説明のできない微妙な問題も多々ありましたが、既存メディアとはかなり異なるタイプのローカルメディアについて地元仙台の事例に絞って報告しました。

その際、事前に届いた質問に回答する時間がありませんでした。ゼミ生たちは拙著「仙台発ローカルメディア最前線 元地方紙記者が伝えるインターネットの未来」を読み込んで詳細な質問リストを準備してくれました。せっかくなので、松本ゼミの了解をいただいて以下に紹介します。独断と偏見がひどい、と不愉快に思う人もいるかもしれませんが、地方紙とネットの行方について大きな関心を持ってくれている若者たちに免じて勘弁してください。

質問(1)と質問(2)を初めに紹介します。十数回続きます。

【質問(1)】まず初めに、地方紙が一体どういうものなのか、そして全国紙と地方紙が持つ明確な役割の違いについて伺わせてください。

【答え】 地方紙にもさまざまあって、多様な歴史、文化を背景にしています。地方紙の世界で、ものを考え、実践してきた立場で言えば、「全国」と「地方」に区分する発想自体に既に「落とし穴」が潜んでいます。「中央」と「地方」、「東京」と「地方」といった区分法と似たところがあって、両者を分けて、単純化することで説明はしやすいですが、半面「地方」の多様性を見失ってしまうおそれがあります。

そうした前提を置いて質問に答えるとすれば、地方紙は「東京ではない都市・地域」に軸足を置きながら世界を見る・考える点に最大の特色があります。わたしが育ててもらった河北新報は「東北地方」と呼ばれる地域に徹底的にこだわってきました。「白河以北一山百文」という表現を聞いたことがあるでしょうか。東北を蔑視する明治以来の風潮をうかがわせます。「河北新報」という名称はそうした風潮に反発し、立ち上がる反骨の気概を表わしています。「東北」の地から発想し、報道し、提言していくのがメディアとしての役割です。

「地域」に軸足を置いて発想し、報道する姿勢は何よりも、多様な価値観を提供します。中央政府が一方的に物事を決め、ルールや情報を流し、人々が素直に従うことをもって平穏と考える発想と、基本的に対峙するものです。

全国各地に存在する地方紙には、河北新報同様、それぞれの背景や歴史、地域メディアとしての存在理由があるはずです。ネット社会においても、地方紙特有の価値を徹底する必要があるのですが、実際には、新聞という伝統的なパッケージを大事にするあまり、ネット世界に飛躍できないでいます。地域メディアとしての精神、発想はそこそこ持っていても、ネット社会に対応するだけの意欲や知識、技術に欠けるため、ネット社会を自分たちのステージ、土俵と考えることさえできないでいるのが実情です。もったいないことです。

2回目は⇒こちら

 

地域ニュースと向き合う人たち

「NEWSつくば」。ニュースメディア×NPO的展開の事例。非営利メディアとしての可能性を、地域に根差した形で追求するんでしょう。つくば、土浦両市の地域ニュースをウェブ配信する。メディアを運営するNPOの役員さんに新聞関係者がずらり並んでいるの点がユニークだ。落ち着いたら取材を申し込もう。

「NEWSつくば」には以下のような記述があります。

NEWSつくばは、筑波学院大学を拠点にウェブでニュースを発信するつくば・土浦の地域メディアです。経営難により2017年3月末で休刊となった茨城県南地域唯一の地域紙「常陽新聞」の元記者と市民らが、地域メディアの灯を消してはならないと、非営利組織を立ち上げました。2017年7月27日付で茨城県からNPO法人として認証され、8月2日付で設立しました。
地方の衰退や新聞離れにより、各地で地方紙が廃刊に追い込まれています。米国では、地方紙が廃刊し地域で何が起こっているか報道されなくなったことにより、地域への関心が薄れ、投票率が低下した、高い給料をもらう役人が続出したなどの問題が起こったと指摘されています。こうした状況を打開しようと米国では、記者らが非営利の調査報道機関を設立するなど新しい動きが起こっています。日本国内でも各地でウェブメディアが次々に誕生し、地域メディアは黎明期にあります。私たちも、状況に甘んじるのでなく、新しい地域メディアを創造し、新しい時代を切り開きたいと思っています。