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地域に由来するメディアの優位性/武蔵大学松本恭幸ゼミのみなさんからの質問(12)-(17・完)

【質問(12)】地域ごとに異なる特徴をもち、それが上手くインターネットやデジタル化していくことにより何か新しくできることとして考えられる事があれば教えて頂きたいです。

【答え】ネット社会を特徴づけるキーワードがいくつもあります。たとえば現時点で言えば「ソーシャルメディア」「なりすまし」「フェイクニュース」などでしょうか。それらを自らのメディア戦略に自分らしくしっかり取り入れることです。

同時に考えなければならないのは、従来からのマスメディア批判、ジャーナリズム批判に対する回答提案を可能な範囲で一気に行うことです。

自分自身を振り返っても、インターネットが登場して以来、新しい技術やサービスに追いつくことだけを考えてきました。自分の立ち位置が何かと比べて遅れているかもしれないと、自ら規定する発想にとらわれすぎました。ネット社会では、既存のメディア批判、たとえば新聞ジャーナリズムに対する従来からの批判の論点がより深く、圧倒的な広がりを持ってしまいました。

既存のメディアに携わる人たちは、ネット社会がもたらした変化の意味をしっかりとらえ、一つひとつの批判にこたえていく責任があります。地域に由来するメディアであればこそ可能な回答提案がきっとあるはずです。技術的にできないことはありません。その気になりさえすれば、漠然と考えていた地域社会が「創造と発想とチャレンジ」の世界に様変わりすることでしょう。

【質問(13)】地方紙は今の段階でどれほどデジタル化、インターネットの導入を進めてきたかを伺わせてください。できれば、時系列順で伺いたいです。インターネットが日本で使われるようになってから20年が経過し、どのようなきっかけがあってインターネットを導入しなければならないと考えに至り、導入していく過程でどのようなことがあったかを含めて伺わせてください。

【答え】地方紙のありように結びつけて、あらためて考える作業が必要です。今後の課題と受け止めさせてください。ネット草創期の出来事として個人的にまず思い浮かぶのは以下の3点です。

● インターネット以前にパソコン通信が盛り上がった。

●米国でインターネットが注目されていると日本のメディアが報じた。このころはテレビでたまに映る大リーグの中継でグラウンドフェンスなどに「http://www.aaa.com」の表示を見つけては「ああ、あれがインターネットか」と感心したものだった。

●日本新聞協会の案内で日本の新聞関係者が米国の新聞社等を視察をした。地方紙はこの時点でネットについての業務指示が出始めた。

【質問(14)】地方紙の立場から考えることのできる地域の課題について教えてください。また、それに対する解決を与えるきっかけを地方紙はできるのかといった点も伺わせてください。

【答え】

(略)

【質問(15)】今後、地域にメディアが上手く活用されていくうえで、必要になってくることがあれば教えて頂きたいです。

【答え】専門的なトレーニングを受けた人たちだけではなく、ごく普通に暮らしている人たちもメディアに参加できる環境をつくることを考えるべきです。マスメディアからソーシャルメディアまで、多様に重層的に存在するネットワーク社会を地域のために開発する必要があります。

市民参加のメディアの世界は歴史もあり、さまざまなコンセプト、スタイルが既に存在します。世界中の市民メディア事例が可視化され、地域に根差したメディアおこし、メディア開発をサポートする環境ができればいい。拙著「仙台発ローカルメディア最前線」で紹介した事例には、そうした方向を模索するうえで重要と思われるヒントや手掛かりが多数潜んでいます。

【質問(16)】地域社会で今後新たに生まれてきそうな地域メディアがあれば教えていただきたいです。また、今注目している地域メディアに関する動きというものも伺いたいです。

【答え】どんなメディアがありうるかは、人々の思いや実践のパワーと密接に関係するのでひと口で説明するのは難しいのですが、デジタルやネット系の技術開発、人工知能の発達まで、長いレンジで考えれば、地域メディアの可能性やそれがもたらす楽しさは計り知れません。たとえばスマホアプリの技術が既に到達している水準は、かつてのパソコン通信時代から見ると、ほとんど夢の世界であり、奇跡に近いものです。こうした技術要素に「地域」「ローカル」を掛け算し、「20年後」「30年後」をさらに掛けたときの地方新聞社のビジョンを、新聞社の現場を支える人たち自らが生み出さないかぎり、道は開けません。

【質問(17・完)】地方紙の未来について伺いたいです。今後、インターネットの活用の仕方やデジタル化が大きな課題の一つになっていることだと思います。もし、それが達成されなかったときに地方紙はどうなってしまっているのか。また、上手く活用できた先にある地方紙、地域社会がどのようなものになるかをお聞きしたいです。

【答え】ネットやデジタル化に地方紙が対応できない場合を想定するのは、新聞出身としてはなかなか厳しいものがあります。それについての答えは、学生のみなさん、学生予備軍の若い皆さんの心の中にあります。みなさんはどんなメディア社会を望みますか?

新聞社OBとしては、たとえ高価でも、どうしても必要なものとして一部一部、買ってもらえればうれしいと思います。新聞パッケージとしての姿にあくまでこだわる高級消費の世界はあるかもしれませんが、現在の新聞社の経営が直線的に(あるいは曲線的に)そこにたどり着くことはないでしょう。ビジネスモデルとしては、その前に新聞発行を停止する判断が下るはずです。

今、地方新聞社の現場に携わる人たちのことを考えれば、地方新聞社が新聞を何とか発行し続け、デジタル市場にも対応できる形が最も穏便なわけです。しかし、本当に新聞は高いお金を払っても、消費者が欲しいと思うメディアになりえるでしょうか。その場合、新聞がなくなることで果たして誰が不幸になるのかというポイントもあります。いわゆる新聞批判、ジャーナリズム批判に耳を傾けながら、その厳しい山を乗り越えることができるかどうかが問われます。

地域に由来する新聞社はただちに新聞に代わるメディア事業の開発に向かって進まなければなりません。その道は容易ではないはずですが、新聞というパッケージ自体が有する蓄積にさまざま変数をかける楽しみがあります。地域に由来すること自体が、実は大きな可能性、優位性となる点も忘れてはいけないと思います。

ネット社会と一言で言っても、20年前と同じではありません。技術の進歩が目まぐるしいことは同じですが、ネット社会に対する消費者の態度-メディアの運営に携わる人々も含めて-も異なります。いますぐに試行錯誤を始め、多くのプレイヤーたちとネットワークを組みながら解決策を探る以外にありません。新聞社特有の、自らはちょっと高みにいる姿勢だけはまず改める必要があるでしょう。

 武蔵大学の松本恭幸ゼミのみなさんとのやりとりは以上です。お付き合いいただきありがとうございました。

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