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震災後に生まれた市民発のメディアの意味/武蔵大学松本恭幸ゼミのみなさんからの質問(5)

【質問(5)】 東日本大震災以降、新聞社以外の市民自らが紙媒体などを作り、市民の側に情報が送った。その後、そうしたひとたちの活動が基になって、新たに起きた地域におけるメディアの動きがあったかを伺わせてください。

【答え】この点で最も実績を残しているのは、きょうの機会を作っていただいた松本恭幸さん(武蔵大学社会学部)のゼミ生たちです。松本ゼミの学生たちは東日本大震災以降、被災地に足を運び、取材を続けました。

https://thepage.jp/detail/20160329-00000008-wordleaf

その成果について知るためには松本さんの著書「コミュニティメディアの新展開 東日本大震災で果たした役割をめぐって」(学文社、2016年1月)をお読みになることをおすすめします。わたし自身は、松本さんたちがリサーチした事例を意識しながらも、仙台という都市に出現した3つの事例をフォローしている最中です。松本さんたちの成果も含めて、事例を一つひとつ紹介する時間はありませんが、一点だけ留意してほしいことがあります。

それは、質問の冒頭に書いてあるように「東日本大震災以降、新聞社以外の市民自らが」メディアの開発や運営に携わりつつあることとの絡みです。

東日本大震災後の、特に、わたしがメディア局長として現場を受け持っていた河北新報社の記者・編集者や、新聞社のさまざまな現場にかかわる社員たちは、毎日、泥だらけになって被災地を回りました。自分自身や家族も大震災による大変な打撃を受けている中で、どれだけの仕事をこなし、今に至っているか。大きく評価したいと思います。単なる身びいきではないつもりです。自分と家族が暮らす大切な地域が、東日本大震災によって、かつて経験したことのない厳しさで損なわれました。被災直後から現在まで続いている記者らの行動は震災がもたらした厳しい現実に突き動かされたものでした。当時、わたしは直接現場に向かう立場を離れてだいぶたっていましたが、彼ら彼女らは本当によく戦ったと思います。

既存のメディアがあれほどのパワーを発揮し、報道したことと、松本さんのゼミ生たちがリサーチし、報道した事例の関係を、今後、どのようにとらえていくべきでしょうか。既存のメディアが不十分だったなどと、言うつもりはありません。では一体、どういうことだったのか。アカデミズムの研究者たちの力も借りながら、何としても見極めなければなりません。

一つだけいえることは、あのような規模の災害時には、平時の取材リソースを動員するだけでは追いつかないほど、過酷な現場が無数に、しかも次々と生まれてしまうことです。災害発生時はもちろんのこと、現在に至るまで、メディアが伝えるべき現場は生まれ続けているというのに、取材フォローが追い付かないとしたら、伝えるべき事柄が十分には伝わりません。ニュースや情報を本当に必要としている人たちに、適切なタイミングで、適切な質と量のコンテンツを提供できているかどうかが重要です。比較的大きなマスメディアが幾つかあれば事足りる話ではありません。地域に展開するメディアの多様性をさらに確保しながら、多様なニーズにこたえていく知恵と工夫・実践の先に、メディアの未来が初めて開かれると思うのです。

東日本大震災では、結果として多くの市民メディアが生まれ、さまざまな形で現場をフォローしました。一つひとつの事例をとってみれば、情報量や内容がプロメディアには劣るという指摘があるかもしれませんが、そうした微弱電流のようなメディアの意味にあらためて注目し、それらを支えた人たちの思いを次世代のメディア論に盛り込む必要を感じます。

ニュースや報道は、専門的な訓練を受けた記者たちの独占物ではありません。マスメディアとしての装いで消費されるだけのものがニュースではありません。利用する人が多ければそのニュースが偉いわけでもない。ニュースや報道の可能性や意味合いに触れ、利用し、参加する権利は誰にだってあるはずです。そのためにはニュースや報道について考えるうえで、ほんちょっと柔軟な発想が求められます。言葉を変えていえば、次世代型のメディア論、新しい世界観を開発する必要がある、というのが、現時点でのわたしの立場です。

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