ネット対応、編集が本気にならない限り無理/武蔵大学松本恭幸ゼミのみなさんからの質問(6)-(8)

(2017年10月25日、都内東京ガーデンテラス紀尾井町「LODGE」で開かれたトークイベント「地方紙から考えるこれからの地域メディアと地域社会」の際、企画した武蔵大学社会学部メディア社会学科・松本ゼミの学生さんから出された質問に対する回答です。地方新聞の未来を正面から考えようとする学生たちの表情がまぶしいひとときでした)

【質問(6)】様々な地域メディアが今まで生まれてきたと思うのですが、その事例について伺わせてください。(ご自身が関わったものであったり、関わっていなくても面白い事や参考になったと思う事例などを教えて下さい。

【答え】(略)

【質問(7)】地域新聞社及び全国の新聞社がインターネットを導入することを受け入れなかった背景にはどういったことがあるのか伺わせてください。

【答え】もちろん、ごく例外的には戦略的な判断を経てデジタル化に向かっているケースもあります。しかしながら、特に地域に由来する新聞社群の中で、今もなおデジタル化を「受け入れ」られないでいる事例が存在するとしたら、それはもう看過できることではないように思います。ネット社会、デジタル社会が到来するのが分かっていて、そのことへの対応を怠ってきたとしたら、取材を得意とする新聞社にはあるまじき行為です。

新聞社がネットを受け入れられない理由はさまざまですが、経営トップの判断のレベルで言えば「ネットは儲からない」と判断したことが大きな理由のようです。

でも、新聞という、たった一つの商品しか持たずに百年以上も仕事をしてきた企業体がネットを簡単にビジネスにできると考える方が間違いです。新聞も新聞社も大きな意味のデジタル社会で生き残る必要があるとの時代観というか、大局観があれば、10年、20年、30年の長期的な目標を設定し、そのときどきのリソースを組み合わせながら取り組んだはずです。取材を得意とする新聞人のはずなのに、そのような意味での大局観がないままに、自分の任期さえ無難に過ぎれば御の字と考えるとしたら、やはり無責任としかいいようがありません。

特に重要なのは編集部門の「食わず嫌い」です。百年以上の実績を持つ新聞というパッケージを愛するあまり、インターネットは新聞を駄目にするという、根拠のない考えに支配されてしまいました。

今ごろ繰り返すのもこっけいですが、ネットは新聞を駆逐するのではなく、ネット環境が新しい価値、新しい環境、新しいライフスタイルを提供し、その結果としてメディアの選別が起きるだけです。ネットと新聞は決して「原因と結果」ではありません。

何と言っても、新聞社の力は、編集の現場が担います。新聞あるいは新聞社の未来をデザインしようというときに、肝心の編集が動かないのでは話になりません。戦いになりません。地方新聞社の次の10年を考えるとき、編集が本当に本気にならないと完全にアウトです。

【質問(8)】地方紙は地域メディアの中でどの立ち位置に今の段階であるのか、そして今後の展望としてどの立ち位置にいくと考えられるかを伺わせてください。また、地方紙のほかに地域メディアを担っている、もしくは、これから担っていくと考えられるメディアがあれば教えて頂きたいです。

【答え】この問題に答えるには、地方紙に携わる人たちがデジタル社会あるいはネット社会に向かってどうしたいのかをまず問う必要があります。何度も繰り返しますが「世界観」です。地方紙の現場を支える人たち自身の問題です。誰の問題でもない。専門家らしき人を探し求めても駄目です。地方紙の多様性や地域の実情を踏まえたうえで具体的に提案できる力は誰にもありません。まず、自らの問題としてとらえ直し、インターネットやデジタルがどのようなものなのかを自らに引き付けて理解する必要があります。それと、いわゆるイノベーションについて理解し、企業体としての新聞社をテーマとして位置づけることから逃げてはいけません。

地方新聞社で育ててもらった関係もあり、個人的にも地方紙の将来はメーンテーマの一つです。新聞社を卒業し、フリーになってからは、ほとんどすべてのエネルギーをそのために割いてきました。だから、提案は幾つもありますが、今の地方新聞社の経営や現場の第一線は、イノベーション路線とは逆の方向に向かっているようなので、外部からいくら言っても恐らく無理なような気がしています。耳を傾けるつもりがなければ、外からもたらされるはずの情報がどんなにあっても届きません。そんなことを主張した有名な書籍のタイトルを思い出します。

奇跡がいますぐ起きて地方紙のリーダーがその気になったとしたら、参考にすべき人や発想は、地方紙の足元、自らがよって立つ地域から生まれることでしょう。今回のセッションの契機の一つとなった拙著「仙台発ローカルメディア最前線」は、そのことに気付いている人に真剣に読んでもらえれば、地方新聞社が向かうべき方向性がほのかに分かるように書いています。

ただし、書いてある事例や分析を単純に真似ようとしても駄目です。何かを絶対的、確定的な形で教えようなどと、頭の高い考えを抱いているわけではありません。読む人が自らの頭と手と足を使って動くための刺激リストのようなものです。ただし、あくまで「奇跡が」起きればの話です。どうでしょうか。

ローカルメディアの連携/仙台メディアフェスティバル

 地域メディアの運営や取材・編集等に携わる団体や個人が参加する「仙台メディアフェスティバル」が2017年11月11日、仙台市若林区新寺2丁目の「TOHOKU 
MEDIA BASE」で開かれました。ネットメディア「TOHOKU360」を運営する合同会社イーストタイムズ(仙台市、中野宏一CEO)の主催です。東日本大震災以後、「TOHOKU360」を軸に連携策を模索してきた団体や個人が参加する形で実現しました。ローカルメディアを運営する地域の団体や個人が協力することで、どんな可能性が開けるのか、課題はどのあたりにあるのかを手探りしました。
 
 仙台メディアフェスティバルには、イーストタイムズと協力関係にあるNPO法人メディアージ(仙台市)のほか、小説「プロパガンダゲーム」(双葉社)を発表したばかりの仙台在住の作家、根本聡一郎さんや雑誌「宮城を視るドキュメンタリーマガジン インフォーカス」の企画・取材・編集から営業までの一切を行う、一人出版の相沢由介さんら個人も参加しました。「TOHOKU360」で提携関係にあるシンガポール経済新聞とインド・ムンバイ経済新聞の編集長を務める小里博栄さんが来日して参加。 シンガポールの週刊誌「Singalife」の飯田広介編集長もネットで参加しました。
 
 仙台発のローカルメディアの活動や背景等について理解し、既存のマスメディアをも含めた全体状況の中で位置づけようと試みました。ニュース記事を朗読するという挑戦的な試みもありました。「TOHOKU360」の通信員でもある「リーディングユニット 100グラード」の渋谷亜也さんが登壇。「仙台流行語大賞」セッションでは、この1年、仙台や宮城、東北で起きた出来事を参加者全員で出し合い、仙台・宮城・東北に住んでいるからこそ分かる流行語(言葉)ランキングを作りました。第1位は「東北でよかった」。今村雅弘復興相(当時)が東日本大震災に絡んで発言し、辞任に追い込まれました。今村発言を逆手にとって「東北で良かった」発言がネットで相次ぎました。
 全国的に話題になっている小説「プロパガンダゲーム」の著者と、たったひとりで出す雑誌「宮城を視るドキュメンタリーマガジン インフォーカス」の著者が登壇したの
は「みんなで作るメディアの未来」セッション。個人がメディアとなる、創造の世界で、フィクションやノンフィクションを手掛ける二人に、地域密着型のメディア編集経験の長いライター・編集者の経験を重ね合わせました。「本当にわれわれがメディアの未来を作るとしたら、今から何をすればいいのだろう」と発言したのは、メディアカフェ的な場の運営に長けているメディアージの漆田義孝さん。
 
 「ローカルとグローバルがつながる」をテーマに掲げた世界通信員会議では、TOHOKU360の提携先であるシンガポールとインドのメディア関係者も参加し、「ローカル」と「グローバル」がごく自然につながるメディアのあり方について考えました。小里博栄ムンバイ経済新聞編集長兼シンガポール経済新聞編集長は「ものを考えなくなった日本人」としっかり向き合うことがメディアの役割と強調しました。「みんなで作るメディアの未来』セッションの際の漆田さんの発言に対する一つの答えのように聞こえました。
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 「仙台メディアフェスティバル」の会場となった「TOHOKU MEDIA BASE」はイーストタームズが開設、メディアージの活動拠点ともなります。そのほか、
メディア活動に携わる団体や個人の拠点としても利用可能にするそうです。
【写真(上)】メディアの未来とは?をめぐり充実した意見交換があった。
【写真(中)】ニュースを読む。ニュース記事によって伝わる力が違ってくる。
【写真(下)】インド、シンガポールと結んだ世界通信員会議

震災後に生まれた市民発のメディアの意味/武蔵大学松本恭幸ゼミのみなさんからの質問(5)

【質問(5)】 東日本大震災以降、新聞社以外の市民自らが紙媒体などを作り、市民の側に情報が送った。その後、そうしたひとたちの活動が基になって、新たに起きた地域におけるメディアの動きがあったかを伺わせてください。

【答え】この点で最も実績を残しているのは、きょうの機会を作っていただいた松本恭幸さん(武蔵大学社会学部)のゼミ生たちです。松本ゼミの学生たちは東日本大震災以降、被災地に足を運び、取材を続けました。

https://thepage.jp/detail/20160329-00000008-wordleaf

その成果について知るためには松本さんの著書「コミュニティメディアの新展開 東日本大震災で果たした役割をめぐって」(学文社、2016年1月)をお読みになることをおすすめします。わたし自身は、松本さんたちがリサーチした事例を意識しながらも、仙台という都市に出現した3つの事例をフォローしている最中です。松本さんたちの成果も含めて、事例を一つひとつ紹介する時間はありませんが、一点だけ留意してほしいことがあります。

それは、質問の冒頭に書いてあるように「東日本大震災以降、新聞社以外の市民自らが」メディアの開発や運営に携わりつつあることとの絡みです。

東日本大震災後の、特に、わたしがメディア局長として現場を受け持っていた河北新報社の記者・編集者や、新聞社のさまざまな現場にかかわる社員たちは、毎日、泥だらけになって被災地を回りました。自分自身や家族も大震災による大変な打撃を受けている中で、どれだけの仕事をこなし、今に至っているか。大きく評価したいと思います。単なる身びいきではないつもりです。自分と家族が暮らす大切な地域が、東日本大震災によって、かつて経験したことのない厳しさで損なわれました。被災直後から現在まで続いている記者らの行動は震災がもたらした厳しい現実に突き動かされたものでした。当時、わたしは直接現場に向かう立場を離れてだいぶたっていましたが、彼ら彼女らは本当によく戦ったと思います。

既存のメディアがあれほどのパワーを発揮し、報道したことと、松本さんのゼミ生たちがリサーチし、報道した事例の関係を、今後、どのようにとらえていくべきでしょうか。既存のメディアが不十分だったなどと、言うつもりはありません。では一体、どういうことだったのか。アカデミズムの研究者たちの力も借りながら、何としても見極めなければなりません。

一つだけいえることは、あのような規模の災害時には、平時の取材リソースを動員するだけでは追いつかないほど、過酷な現場が無数に、しかも次々と生まれてしまうことです。災害発生時はもちろんのこと、現在に至るまで、メディアが伝えるべき現場は生まれ続けているというのに、取材フォローが追い付かないとしたら、伝えるべき事柄が十分には伝わりません。ニュースや情報を本当に必要としている人たちに、適切なタイミングで、適切な質と量のコンテンツを提供できているかどうかが重要です。比較的大きなマスメディアが幾つかあれば事足りる話ではありません。地域に展開するメディアの多様性をさらに確保しながら、多様なニーズにこたえていく知恵と工夫・実践の先に、メディアの未来が初めて開かれると思うのです。

東日本大震災では、結果として多くの市民メディアが生まれ、さまざまな形で現場をフォローしました。一つひとつの事例をとってみれば、情報量や内容がプロメディアには劣るという指摘があるかもしれませんが、そうした微弱電流のようなメディアの意味にあらためて注目し、それらを支えた人たちの思いを次世代のメディア論に盛り込む必要を感じます。

ニュースや報道は、専門的な訓練を受けた記者たちの独占物ではありません。マスメディアとしての装いで消費されるだけのものがニュースではありません。利用する人が多ければそのニュースが偉いわけでもない。ニュースや報道の可能性や意味合いに触れ、利用し、参加する権利は誰にだってあるはずです。そのためにはニュースや報道について考えるうえで、ほんちょっと柔軟な発想が求められます。言葉を変えていえば、次世代型のメディア論、新しい世界観を開発する必要がある、というのが、現時点でのわたしの立場です。

ネットのリスク、地域メディアの強み/武蔵大学松本恭幸ゼミのみなさんからの質問(3)(4)

【質問(3)】地域にインターネットを導入することにより得られると期待した事、また導入によるリスクを伺わせてください。

【答え】インターネット初期に考えたメリットは、何と言っても地方紙のニュース・情報を世界に飛ばせることです。

ジャーナリズムの世界では有名なピューリッツァ―賞がありますが、日本の新聞社にだって、それに匹敵する報道成果はいくらでもあるはずです。日本語による報道というだけで日本独自のものに終わっていますが、インターネットをうまく使えば、ローカルメディアの価値を大革新できると考えました。それがネットの初期段階です。今、考えればあまりにユートピア的で楽観的ですが、そんな将来が来ると思うと、実にワクワクしたものです。

導入によるリスクは何もなかったように思います。いざ、踏み出そうとする前に、自分では確認してもいない、根拠に乏しい「リスク」をあれこれ言い立てる人にどう対応するかの方がリスク管理上、よほど重大でした。現時点でも、ネット社会への対応は、メディアとしての、いわば必須の環境整備にすぎません。リスクを先に考えて立ち止まる余裕はないはずです。

残念ながら今となっては、もっと地道で切実な問題が重くのしかかっています。既存の地方新聞社が手をこまねいている間に世間様は、すっかり「ネット社会」仕様になってしまいました。既存メディアである地方新聞社は、ネット社会への対応の点ですっかり後れをとってしまいました。一体、今後、どう生き残ろうとしているのでしょう。

定年退職し、新聞社の現場を退いた身にかろうじて届く「風の便り」によれば、地方新聞社群がネット社会に対応するための明るい材料はほとんど見えません。はっきり言ってそれは現職のみなさんの重大なテーマなので、OBが気にすることでもないのでしょうが、やはり心配です。

私自身の個人的な立場は、自分も含めて地方新聞に集う人たちがこれまであまり目を向けてこなかった、自分がよって立つ地域のメディアアクティビティに注目しながら、5年先、10年先のメディア世界につながる世界観や具体的なメディア戦略・戦術を考えることにあります。長い間育ててくれた地方新聞社の動向を見守っていれば、ずっと先の方で連携できるのかもしれません。

【質問(4)】地域と一言で言っても文化、特色も違うのでそれぞれにオリジナリティのあるメディアが誕生していくと思います。そこで、地域に由来するメディアが生み出すことのできる強みがあれば教えて下さい。

【答え】オリジナリティや多様性が地域にあることは新聞時代も同じでした。ネット社会になって何が違うかと言えば、そのオリジナリティを文化として楽しんだり、ビジネスや商品として開発したりする可能性を飛躍的に高めたことです。そのオリジナリティを生かした文化やビジネス、商品が広大なネット社会に供給するに足るものであることは言うまでもありません。長い間、地域だけで消費されてきた価値がネットやデジタル技術によって解き放たれつつあります。これを強みと言わなくてどうするのでしょうか。

しかしながら、地方新聞社に限っていえば、インターネットが登場して以来、ほぼ20年間というもの、せっかくのオリジナリティを新聞あるいは新聞業界の都合に閉じ込めてきました。地域に由来するメディアの強みであるはずのオリジナリティを「ネット社会」仕様でコントロールするための努力を、たとえ倒れても続けなければならない20年のはずでした。今後10年、20年と続く将来も同様です。

今、「ネットはもうからない」とか言って、ネット部門を縮小しているケースがあるやに聞きますが、事ここに至って、ネットやデジタルから逃げよう、目を背けようとするリーダーたちは果たしてどんなメディア戦略を考えているのでしょうか。自分だけが1年か2年生き残ればいい、面倒なことはやりたくないというのであれば、それは、これからも新聞あるいは新聞社に集う後輩たちを置き去りにするようなものです。新聞メディアの未来を考えるうえで大きな禍根を残すことになるでしょう。

地方新聞社がネットを使えなかったわけ/武蔵大学松本恭幸ゼミのみなさんからの質問(2)

【質問(2)】インターネットが日本に登場した当初で、日本におけるインターネットの普及がもたらした変化、またどのようなプロセスを踏んで人々に普及していったか。そして、それが地域、地域の新聞社に上手く溶け込むことが出来なかった理由を伺わせてください。

【答え】

地域の新聞社がインターネットに上手く対応できなかった最大の理由は、インターネットへの無理解です。人間は自分の尺度を超えた存在には多かれ少なかれ抵抗を覚えるものですが、新聞社、特に地域に由来する新聞社は、インターネットをわが事にあてはめる姿勢が最初から希薄でした。報道の世界に生き、社会の変化をニュース・情報として広く伝え、提供する仕事に携わっている者たちであるはずなのに、インターネットやデジタルに対する閉鎖的で頑迷な姿勢は一体どうしたことでしょうか。自社の新聞を丁寧に読んでいれば、インターネットの出現によって世界にどんなことが起きてきたか、今後、どんな影響を及ぼしそうなのか、単に抵抗して済む問題なのかどうかぐらい、分かるはずなのですが・・。

多くの日本人にとって、インターネットは米国から入ってきた環境でした。外から入ってくる価値観に対しては、「米国では・・」「英国では・・」と、「出羽の守」になり、先進事例や流行としてベターモデル化したがるのですが、インターネットの場合は最初から抵抗すべきもの、反対すべきものとして受け止められました。

報道者らしくない閉鎖的で頑迷な発想が、まるで初期値のように新聞界に広がったのには理由があります。インターネットが米国から日本に入ってきたタイミングをよく考えてみてください。インターネットが日本に紹介された当時、米国は日本より10年進んでいるとか、5年進んでいるとかよく言われたものです。つまり米国では、日本より5年、10年早くインターネットとの相克が始まりました。

米国の「先進性」ゆえに、日本に入ってきたときは、米国の既存の新聞社の、特に広告部門に対するネット企業(マイクロソフト社など)の「侵略」と、それに対する反発や恐怖心がセットになっていました。当時の米国は確かに現実でしたが、ネット出現以後、新聞社の事業に影響が出るまでに、少なくとも数年を費やしていたはずです。それなのに日本の報道機関がインターネットを紹介しようと思い立った時すでにネットの負の側面がセットになっていたわけです。

日米の時間的なタイミングの差をしっかり認識し、米国の取材を実地にその気になってやれば、既存メディアにとってインターネットがネガティブな意味を持つだけではないことがすぐに分かったはずです。

当時、米国の地域社会や地方新聞社を丹念に取材して回れば、若い世代がインターネット使って情報検索したり、論文を作成したりする光景に接することができたはずです。米国のインターネットは、まだアナログ電話回線を使ってアクセスポイントにダイヤルする環境でしたが、同じ都市内で通話する場合、いくら使っても定額料金でした。

そのため、たとえば非営利組織のオフィスをたずねると、パソコンが机の上に常に立ち上げてあり、必要に応じて何度もインターネットにアクセスしていました。企業に比べて資金力に乏しい非営利組織にとって、インターネットは情報収集や情報発信をサポートしてくれる強力な味方でした。ネット先進地と見られていたサンフランシスコでは、長い間、本を貸出しするだけだった公共図書館がネットを利用した新しい情報サービスをメーンにしはじめていました。何台も置いてあったパソコンの前には、市民が長い行列を作り、有料・無料、さまざまなタイプのデータベースを使っていたのが印象的でした。

ごく簡単に言えば、インターネットが既存メディアだけを狙い撃ちにしたわけではないという事実さえ、日本の多くの新聞関係者にはピンとこなかったようです。インターネットは初めから歓迎すべからざるものとして既存の新聞社の経営陣には受け止められていました。広く米国社会、特に若い世代にフォーカスして取材をすれば、日本の新聞関係者がこぞってネガティブな見方をしたのとは、まるで異なるインターネットの世界が見えたはずです。

取材を本職とする以上、それをしなかったのは怠慢としか言いようがありません。日本の新聞業界が致命的だったのは、もともと横並び主義というか、他社の事例を参考にしながら進む、新聞百年超の悪弊が存在し、大いなる誤解でもある「ネットネガティブ論」を、業界シフト=業界主流の発想に高めてしまった点でした。報道機関としての怠慢、視野の狭さが招いた大失策です。特に編集局の人たちに頑張ってもらいたいと思う最大の理由です。

地方紙って何?どんな役割?/武蔵大学松本恭幸ゼミのみなさんからの質問(1)

武蔵大学社会学部の松本恭幸教授のゼミ生たちの協力で、地方紙とネット、地域と地方紙などをテーマに報告し、意見交換する機会がありました。なかなかすっきりした説明のできない微妙な問題も多々ありましたが、既存メディアとはかなり異なるタイプのローカルメディアについて地元仙台の事例に絞って報告しました。

その際、事前に届いた質問に回答する時間がありませんでした。ゼミ生たちは拙著「仙台発ローカルメディア最前線 元地方紙記者が伝えるインターネットの未来」を読み込んで詳細な質問リストを準備してくれました。せっかくなので、松本ゼミの了解をいただいて以下に紹介します。独断と偏見がひどい、と不愉快に思う人もいるかもしれませんが、地方紙とネットの行方について大きな関心を持ってくれている若者たちに免じて勘弁してください。

質問(1)と質問(2)を初めに紹介します。十数回続きます。

【質問(1)】まず初めに、地方紙が一体どういうものなのか、そして全国紙と地方紙が持つ明確な役割の違いについて伺わせてください。

【答え】 地方紙にもさまざまあって、多様な歴史、文化を背景にしています。地方紙の世界で、ものを考え、実践してきた立場で言えば、「全国」と「地方」に区分する発想自体に既に「落とし穴」が潜んでいます。「中央」と「地方」、「東京」と「地方」といった区分法と似たところがあって、両者を分けて、単純化することで説明はしやすいですが、半面「地方」の多様性を見失ってしまうおそれがあります。

そうした前提を置いて質問に答えるとすれば、地方紙は「東京ではない都市・地域」に軸足を置きながら世界を見る・考える点に最大の特色があります。わたしが育ててもらった河北新報は「東北地方」と呼ばれる地域に徹底的にこだわってきました。「白河以北一山百文」という表現を聞いたことがあるでしょうか。東北を蔑視する明治以来の風潮をうかがわせます。「河北新報」という名称はそうした風潮に反発し、立ち上がる反骨の気概を表わしています。「東北」の地から発想し、報道し、提言していくのがメディアとしての役割です。

「地域」に軸足を置いて発想し、報道する姿勢は何よりも、多様な価値観を提供します。中央政府が一方的に物事を決め、ルールや情報を流し、人々が素直に従うことをもって平穏と考える発想と、基本的に対峙するものです。

全国各地に存在する地方紙には、河北新報同様、それぞれの背景や歴史、地域メディアとしての存在理由があるはずです。ネット社会においても、地方紙特有の価値を徹底する必要があるのですが、実際には、新聞という伝統的なパッケージを大事にするあまり、ネット世界に飛躍できないでいます。地域メディアとしての精神、発想はそこそこ持っていても、ネット社会に対応するだけの意欲や知識、技術に欠けるため、ネット社会を自分たちのステージ、土俵と考えることさえできないでいるのが実情です。もったいないことです。

2回目は⇒こちら

 

地域ニュースと向き合う人たち

「NEWSつくば」。ニュースメディア×NPO的展開の事例。非営利メディアとしての可能性を、地域に根差した形で追求するんでしょう。つくば、土浦両市の地域ニュースをウェブ配信する。メディアを運営するNPOの役員さんに新聞関係者がずらり並んでいるの点がユニークだ。落ち着いたら取材を申し込もう。

「NEWSつくば」には以下のような記述があります。

NEWSつくばは、筑波学院大学を拠点にウェブでニュースを発信するつくば・土浦の地域メディアです。経営難により2017年3月末で休刊となった茨城県南地域唯一の地域紙「常陽新聞」の元記者と市民らが、地域メディアの灯を消してはならないと、非営利組織を立ち上げました。2017年7月27日付で茨城県からNPO法人として認証され、8月2日付で設立しました。
地方の衰退や新聞離れにより、各地で地方紙が廃刊に追い込まれています。米国では、地方紙が廃刊し地域で何が起こっているか報道されなくなったことにより、地域への関心が薄れ、投票率が低下した、高い給料をもらう役人が続出したなどの問題が起こったと指摘されています。こうした状況を打開しようと米国では、記者らが非営利の調査報道機関を設立するなど新しい動きが起こっています。日本国内でも各地でウェブメディアが次々に誕生し、地域メディアは黎明期にあります。私たちも、状況に甘んじるのでなく、新しい地域メディアを創造し、新しい時代を切り開きたいと思っています。

ネットに置いてけぼりにされる/自分で解題「仙台発ローカルメディア最前線(3)」

目の前で起きつつあるメディア的な事例の数々を自分なりに可視化しようと考えたのが「仙台発ローカルメディア最前線」の発想の出発点でした。

拙著に登場してくれた多くのみなさんは、新聞や新聞社との関係で存在しているわけではありません。だから、彼ら彼女らの思い、アイデア、行動を「新聞」との関係だけで表現されるのは、不十分であり、迷惑なはずです。実際にお読みいただければ分かりますが、それぞれの事例の迫力と、それを支える発想はそれ自体で刺激的で、将来のメディア世界のありように重要な示唆を与えてくれています。紹介するに足ると強く確信しています。

足かけ3年に及ぶ取材の過程ですぐに気付いたのは、ある特定のメディアの中に身を置き、自らの立ち位置から展望するだけでは、たとえば、ソーシャルメディアの将来一つ見えてこないことでした。その意味で、地域に展開しつつある事例の数々について時間をかけて取材する作業自体、自分の立ち位置をあらためて確認するための、非常に重要なステップとなりました。

加えて、幸運にも「未来ビジョン」と名付けられた企業戦略の開発手法に出合い、その実践者である企業家・専門家の議論と実践の端っこに加えていただきました。新聞を含む地域メディアの「未来ビジョン」を手繰り寄せるための実験を個人的に始めたようなものです、

地方新聞社という小さな、小さな世界に長い間、身を置いて、いつの間にかメディアの将来を考える資格を得たつもりになっていました。長い間、地元では無敵の新聞社の枠内で考え、実践するうちに身に着いてしまった「癖」や「ほこり」のようなものをいったん洗い流すには、それなりに時間がかかるようです。

「仙台発ローカルメディア」の最前線について、元地方紙の記者として分析し、展望めいたシナリオを考えるのは自分自身が現時点で意識している大テーマですが、その答えは、古巣の地方新聞社をはじめとする業界の記憶の中には見つかりません。

地方新聞社在職中に蓄積した紙のメディア(新聞)とインターネット&デジタルの観点は、既に過去のことであり、ほとんど役には立たないと思われます。悔しいけれど、ネットとデジタルの世界の足の速さは、インターネット草創期の迫力をはるかにしのいでいます。

かつて米国で取材に応じてくれた地方新聞社の人たちの顔が浮かびます。彼らの中には、ネットとデジタルが、あっという間に慣れ親しんだ世界を吹き飛ばし、歓迎しない配置転換やリストラを経験していました。日本からわざわざ訪問する記者を受け入れるぐらいの人たちは、ほとんどが前向きな人たちでした。

新聞社を解雇された後、地元大学のメディアプログラムに参加し、覚えたばかりのiPadを駆使して取材にこたえてくれた人は快活でしたが、それまでの日々に味わった苦しみ、迷いはさぞや大きかっただろうと思います。

自分を育ててくれた古巣の人たちのためにあえて書いてしまえば、ネットやデジタルにうまく対応できない結果、新聞の現場の人たちがやがて味わうことになる「恐怖」や「不安」をイメージしてみてほしい。それを予感できない人には、メディアの展望を語る資格はありません。「仙台発ローカルメディア最前線」には、そんな思いをちりばめてあります。ぜひご覧ください。

新聞のこと、そして「地域」と「ネット」の掛け算/自分で解題「仙台発ローカルメディア最前線(2)」

電子書籍とPOD出版の提案を受けた際、テーマを「地域メディア」にすることはすぐに決まりました。河北新報社という地方新聞社で40年も過ごした経験を土台に、地域メディアが目指すべき方向について、少しは有効な指摘や提案ができればいいと考えました。ただし、幾つかの注意すべき点がありました。

最も重要なのは、地方新聞社に関する限り、新聞社が置かれている状況はすべて異なるため、すべての新聞社に共通する回答や打開策はまずありえない点でした。

地方新聞社はそれぞれの地元では一国一城の主です。地方新聞社同士は競争関係にないので、たとえば九州の新聞社の取り組みを東北でほとんどそのまま使い回すやり方でも、ある程度の成果を導き出すことは可能でした。振り返って見れば、それは新聞ならではの夢のような話でした。

一方、ネットやデジタル環境は社会全体の変容を迫っています。縄張りにも似た地理的な境界線を設定し、自社の利益を守る発想自体、通用しません。新聞時代のように、いずれかの新聞社が開発した手法を参考にしようとしても、二番手は二番手、フォロワーはフォロワーです。先行者利益をがっぽりとられた後の残りかすを求めることになりかねません。

地方新聞社のネット&デジタル戦略のかぎは、地方新聞社固有の地域的な特色とインターネットがもたらすさまざまな変数との掛け算にあるというのが拙著の立場です。地方新聞社がよって立つ、固有の地域社会とともに自ら変わることを恐れず、さまざまなプレイヤーとの連携を大胆かつ多様に進めなければなりません。

繰り返しになりますが、すべての地方新聞社に通用するお仕着せや幕の内弁当のような手軽な解決策はありません。だからこそ、よって立つ地域との連携やインターネット&デジタルの特性を生かすための人材や技術の蓄積が求められます。

その意味で友人の一人が拙著について「生煮えだ」「85点だ」と言ってくれたのは、非常に正確な受け止め方でした。もちろん、「生煮え」状態を少しはましな提案に育てるべく今もあれこれ取材し、多くのプレイヤーたちと議論しています。そのステップは一般論ではなく、新聞社ごとに設定されなければお話になりません。地域に立脚するメディアのありようをインターネットやデジタルに重ねて考えるときの、面白くて苦労しがいもあるポイントです。

もう一つの観点があります。あいにくなことに、地方新聞社の多くは外部の指摘や評価に耳を傾け、自ら変わる準備がまだできていないように見えます。だから、外部の人間が何を言っても「中の人」には届かない。つまりは、あと15点を追加する資格があるのは、それぞれの新聞社の「中の人たち」なのです。

特にネット&デジタルへの対応をひたすら避けてきた編集部門が依然として「新聞」に逃げ込もうとする限り、これからの時代に対応するのは不可能です。拙著でも、長い間お世話になってきた研究者や企業家の力を借りながら「中の人」に気付いてもらうためのメッセージを送り続けています。少しでも関心のある方はお目通しください。