自然体で地域のテーマを追う/西東京市の地域報道メディア「ひばりタイムス」(1)

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通信社OBが70歳になってから立ち上げた地域密着型の報道メディアだと聞いて、創設者で編集長の北嶋孝さん(75)に話を聞きました。西東京市とその隣接自治体を中心に、もっぱら地域ニュースを扱う「ひばりタイムス」。その名前からは、はるか高い天空のどこかで鳴く「ヒバリ」を連想しましたが、北嶋孝さんの言葉からにじみ出るのは、大手メディアがカバーし得ない地域の出来事に密着し、自分の出来る範囲で、地道にしっかり伝えたいという思いです。

「ひばりタイムス」はメディア本体であるウェブのほか、週刊でメールマガジンを発行しています。フェイスブック、ツイッターなど、ソーシャルメディアを活用することで、「ひばりタイムス」の知名度アップや提供するニュースの拡散を狙っています。週刊ひばりタイムス第210号(2019年5月16日)から主なニュースを引用します。

●617日から移動支援の実証実験 地域説明会始まる。
 公共交通の空白・不便地域となっている西東京市の南部地区で、タクシーを活用した移動支援の実証実験が6月17日からスタートする。期間中は農産物と鮮魚の移動販売も同時に実施する。
これらの概要を対象地域住民に説明する会合が5月14日から始まった。最初の説明会は14日、南町2丁目の南部地区会館で開かれた。
都市計画課の説明によると、実証実験の期間は6月17日から9月28日までの3ヵ月余り。対象になるのはおおむね、向台町1丁目、南町2丁目、柳沢2~5丁目の住民。65歳以上、妊娠中、世帯に3歳未満の子どもがいる人が申請して利用者カードを取得すればタクシーに乗れる。
(以下、略)

 ●西東京市教育の重点4施策決まる 「時代の変化に対応した学習環境の整備」を新規追加
 西東京市の総合教育会議が5月14日に開かれた。2019年度の教育重点施策は、これまでの「いじめ・虐待の対策」「切れ目のない支援」「子どもの居場所の充実」の3項目を継続し、あらたに「時代の変化に対応した学習環境の整備」を追加した。
新施策となった「学習環境の整備」は、学校施設の老朽化に対応するとともに、将来的な児童・生徒数を分析して学校施設や学区域の課題を整理し、施設の複合化や小中一貫教育などの視点を含めて検討する。このため教育関係者、保護者、地域住民、学識経験者らによる「学校施設の適正規模・適正配置検討協議会」を設置し、来年初めに予定される報告書の提出を待って市の整備計画を取りまとめる方針。

総合教育会議は法改正によって、市長と教育委員会が協議、連携して教育施策を総合的に推進するために設置。2015年4月に第1回が開かれ、毎年重点施策を決めてきた。

●田無駅ペデストリアンデッキでミニライブ 西東京市芸術文化振興会が5月12日に
 一般社団法人西東京市文化芸術振興会(海老澤敏会長)は5月12日、西武新宿線田無駅のペデストリアンデッキを舞台に、「ペデライブ」と名付けたミニ演奏会を始める。今回は「第0回」と呼ぶプレライブ、いわばお試し版。この経験を9月予定の第1回に生かし、市民主体のライブ演奏会を定期的に開き、地域の賑わいと地元への愛着を育てるのが願い。小さな舞台から、夢が羽ばたく試みとなる。

◆         ◆

「ひばりタイムス」の趣旨に賛同する地域のライターが書いたニュースや特集・連載があります。議会や行政の動きを取材するなど、一定の経験を要する分野や問題については北嶋さん自らが担当しています。自分の立場や考え方をアピールする場ではなく、あくまで地域で起きた出来事をなるべく忠実に伝える報道メディアとして活動しています。

誰もが利用できる「これからカレンダー」を準備しています。地域住民が関心を持ちそうな予定を伝えることで、地域に役立つメディアを目指しています。

北嶋さんは共同通信社を定年前に卒業した後、地域の演劇活動を支援するメディアの編集に10年携わりました。70歳になってから西東京市と隣接自治体をカバーする地域報道メディア「ひばりタイムス」を立ち上げました。2015年2月のことでした。

「誰が読んでも楽しいイベント情報は、いろいろなメディアに掲載されるので、自分は地元の自治体や議会にしっかり足を運ぼうと考えました。インタビューしたいので市長に合わせてほしい、と西東京市の広報にお願いするところから始まりました」

西東京市は東京の多摩地域東部。旧田無市と保谷市が2001年1月21日に合併して誕生しました。人口は20万3千人。大手メディアは取材拠点を置いていないので、ウェブやメール、ソーシャルメディアを駆使する「ひばりタイムス」だけが事実上、地域と向き合うメディアとなっています。

通信社を卒業後、自分の住む地域に目を転じ、地域に根差した演劇活動を支援するメディアからローカルに根差した「ひばりタイムス」の立ち上げへ。振り子にたとえれば振れ幅の大きい歩みです。新聞社や放送局を卒業したOBたちにとっても、参考になる事例といえるでしょう。

「ひばりタイムス」は、主に編集長の北嶋さんが取材するほか、地域の諸課題に関心を持つ有志がライターとして参加しています。メディアとしての特徴について北嶋さんは「目の前で起きていることを淡々と伝えたい。主義主張のためのサイトではありません。起こったことを出来るだけ忠実に伝える地域報道メディアです」と説明します。

以下、「ひばりタイムス」の公式メッセージからの引用です。

ひばりタイムスは、西東京市や近隣で起きた出来事、住民の活動を伝える地域報道サイトです。住民の生活と経験を大切に、マスメディアの網からこぼれ落ちがちな暮らしのニュースを伝えます。住民が互いに交流し支え合って暮らす、これからの地域作りに欠かせない要素だと考えるからです。

ひばりタイムスは、地域のイベントや予定を提供する情報メディアです。市役所や議会の審議会、委員会の日程などのほか、講座やセミナー、集会など住民活動の予定を掲載します。自主的に学び楽しみ、地域を作るツールとして活用できるように心掛けます。

ひばりタイムスは、西東京市在住の有志が始めました。いずれも在京報道機関の記者経験はありますが、地域事情は手探り状態です。住民自身が地域の出来事を発信、報告、記録できるような態勢を整え、地域の報道主体として信頼されるメディアをめざします。

ひばりタイムスは本体のWebサイトのほか、メールマガジン、facebook、twitterなどを利用して、総合的にニュースを発信します。

ひばりタイムス編集長 北嶋孝

(次回に続く)

多様な自社制作軸に地域と歩む/コミュニティ放送局「エフエムたいはく」の場合(上)

【写真】百万都市仙台の副都心。長町地区に拠点を置くエフエムたいはく。大小2つのスタジオから番組を配信する。生番組はここからほど近い場所にあるサテライトを使っている。

地域密着と市民参加を掲げているコミュニティ放送局(FMラジオ)を聴いたことはありますか?大手のラジオ放送に比べて電波が届く範囲は狭いのですが、インターネットを利用できれば世界中どこでも聴けるようになっています。最大の特色はいわゆる自社制作番組です。地元の人々が進行役(パーソナリティ)を努めるせいか、親しみやすさに満ちた空気感が伝わってきます。百万都市仙台の副都心といわれる長町地区にスタジオを持つ「エフエムたいはく」を訪問しました。

仙台市太白区の人口は22万6千人。仙台市の総人口のほぼ5分の1を占めています。エフエムたいはくは長町3丁目、国道4号沿いにありました。近くにはJRや仙台市地下鉄、市バスの駅があります。長町駅に直結する再開発ビル「たいはっくる」には、地域文化の中心となる多目的ホール「楽楽楽(ららら)ホール」があります。仙台市立病院のほか、建設中の高層マンションや大型商業施設もあり、江戸時代からのまち並みを残すユニークな副都心として急成長している地域です。

 

【写真】自社制作の番組が多いため一面緑色のタイムテーブル

エフエムたいはくは2007年9月29日に開局しました。「エフエムたいはくの1週間の番組を制作形態ごとに色別に並べた「タイムテーブル」は、自社制作であることを示す緑色一色に見えます。他の放送局と比較する目安はないのですが、エフエムたいはくの自社制作率が高いのはひと目で分かります。

 

エフエムたいはく開局直後は、出演者に決まった謝礼を支払うケースもありましたが、コミュニティ放送に共通する財政状況の厳しさを踏まえて、今では、昼の時間帯の生番組でも、謝礼はなし、交通費のみ支払う原則が出来上がっています。

番組ごとに決まったパーソナリティが活躍しています。エフエムたいはくのスタッフがパーソナリティと話し合いながら編集作業を担当し、番組に仕上げますが、パーソナリティのなかには、収録から編集まで一切を自分で行う人もいます。自社制作が多い点も含め、コミュニティ放送の特徴である地域密着と市民参加を具体化しつつあるメディア現場といえるでしょう。

コミュニティ放送局を支える資金源としては、年末年始の祝賀広告など、工夫を凝らして取り入れている企業とのタイアップによる広告収入が全体の7割程度を占めていますが、パーソナリティの中には、さまざまな形で一定額を自分で負担し、コミュニティ放送の財政を支えるケースもあります。欧米に伝統的な無償のボランティアの形を一歩進め、新しい形の市民参加を模索しているようにも見えます。

次回に続く)

「市民が主役」を合言葉に/コミュニティ放送局「エフエムたいはく」の場合(中)

【写真】インタビューにこたえるエフエムたいはくの野田紀子代表

エフムたいはくの運営会社、エフエムたいはく株式会社の代表取締役野田紀子さん(70)に話を聞きました。

野田さんは2008年6月に2代目の代表に就任しました。2007年9月の開局から1年も立っていないタイミングでの代表交代でした。以来、まだ十分でなかった資金調達や番組編成など、運営全般に責任を負ってきました。当然のことながら代表としての責任は重いものがあります。

「コミュニティ放送への融資環境がまだ十分でなかったころ、金融機関に融資をすべて断られました。何度も足を運びましたが、金融機関に直接頼んでも難しかったので、コミュニティ放送という事業への信用を関係機関から取り付けるのに必死になりました。4回目ぐらいの訪問で担当者が前向きになってくれたのを感じました」

代表就任と同時に、自ら地域に出掛けて多くの人たちにインタビューし、番組を作ってきた「現場の人」でもあります。

「これまでインタビューした人は千人には届かないけれど数百人にはなるはずです。コミュニティ放送は地域のために存在します。あくまで市民が主役。営利をどこまでも追求する、普通の会社とは異なります」

もともとは夫と二人で長町地区で電気工事業を起業した人。ラジオや放送メディアの分野で特に経験があったわけではありませんが、地域の電気屋として重ねてきた苦労が役に立つかもしれないと考えたそうです。

「一番最初にマイクと録音機を持って出かけたのは長町小学校で開かれた夏祭りでした。取材の経験がなかったので、何をどうすればいいか分かりませんでした。最初に言うべき言葉を何度も繰り返しながら夏祭りの会場に向かいました。不思議なもので、思い切ってマイクを向けると、初めは驚いても、次の瞬間にはマイクに向かってしっかり話してくれます。その立場になれば人は変われる。地域の人々が主役になるというのはこのことだと感じました」

コミュニティ放送特有の問題や課題と向き合いながら、地域との人的なネットワークをほとんど唯一の武器に一つ一つ問題を解決してきました。

「何事も時間が必要です。一気にうまくいくことはありません。でも、大きな放送局では、住民の誰かが自分の番組を持ちたいと思っても、そう簡単にはいきませんよね。コミュニティ放送の場合、多くの人たちにいろいろな番組を持ってもらえます」

エフエムたいはくが自主制作をここまで進めることができたのは、パーソナリティとして参加する「主役」たちの事情や気持ちを最大限にくんできたためでしょう。

「自分の会社が自分の番組のスポンサーになる形をとっている人もいます。一方で、個人の資格で番組を提供しているケースもあります。今、パーソナリティを努めている人たちの事情や経緯は一人ひとり異なります。さまざまに工夫し続けてくれているパーソナリティの交流会をことし初めて実施します」

次回に続く

(前回に戻る)

「誰かのために何かをする人」をゲストに/コミュニティ放送局「エフエムたいはく」の場合(下)

【写真】ゲストを招いての収録に臨む鈴木はるみさん。この日は世界進出を目指して京都府から宮城県丸森町に移住し、オリジナルの赤いパンツを製作販売している20代の起業家がゲストでした。

鈴木はるみさん(56)がパーソナリティをつとめる番組は「鈴木はるみのソーシャルで行こう!」です。毎週火曜の午後8時から放送されます。誘われてパーソナリティになって以来、今年で9年目に入りました。毎回、ゲストを招いてそのときどきの話題に切り込みます。毎週休まずに番組を提供し、8年間に招いたゲストはのべ400人を超えます。

「『ソーシャル』という名称は、当時、ビジネスで社会課題を解決する『ソーシャルビジネス』が脚光を浴び、一方でSNS『ソーシャルネットワーク』が社会に急速に広がり始めた、という2つの事象が同時に起こった時期だったことから、『ソーシャル』というキーワードに強く惹かれて番組名に取り入れました」

鈴木さんがパーソナリティとして取り上げる社会問題は実に多彩です。「普段は、企業経営者、NPO代表、学校の先生、映画監督、スポーツ選手、アーティスト、警察、消防、学生などなど、ジャンルを問わず様々な方をゲストに招いています。職種は様々ですが、共通するポイントは、『ソーシャルな活動をする人』=『社会で、誰かのために、という思いで何かをする人』ということです」

「オリジナルの特集企画もあります。例えば、マスメデイアに登場することの少ない地方議員にスポットをあてた市議会議員特集。それをきっかけに市議会の傍聴も始めるなど、ラジオを通した出会いによって、自分の世界が広がることも感じています。今後は、町の活性化に取り組む商店会の特集を企画中です」

鈴木さんは、自分の番組を毎週1回、収録・編集、放送するだけでなく、インターネット、特にフェイスブックなどのソーシャルメディアを活用して発信しています。「アナウンサーでもラジオ局の社員でもない、アマチュアのパーソナリティーが自分の感性で自主制作しています」というのがネット上の自己紹介です。

コミュニティ放送は「コミュニティ」の名称が示すように受信可能な範囲が限られていますが、インターネットを組み合わせることで、影響範囲が飛躍的に変わる可能性があります。

鈴木さんのフェイスブックもコミュニティ放送の可能性を模索する意味合いが大きいといえます。「ラジオは放送が終われば消えてしまいます。コミュニティ放送の場合、大手のラジオ放送に比べて可聴範囲が狭いので、自分の番組を誰が聴いてくれているんだろう。どれぐらいの人に放送が届いているんだろうと思うことがときどきあります。ネットをうまく使って、一人でも多くの人たちに自分が企画・演出した番組の情報が届けばうれしい」

(前回に戻る)

 

可能性は自らの中に/ネットでは「主読紙」を探せない

新聞の世界では「主読紙」「併読紙」という言い方があります。全国紙と地方紙の複数を複数購読する場合も、どれを「主読」と言うかは別にして、確かにありました。(今でもあるでしょう)

ここ数年、新聞各社はネットで自由に読んでもらう記事を絞り込む傾向にあります。新聞購読とのセット料金を設定するなど、売り上げに結びつく有料読者を囲い込もうとしています。世界的な傾向でもあるし、迷いながらも新しい道を模索する努力を単純に否定するつもりはないのですが、その結果、たとえばネット検索で上位にくるのは無料でニュースコンテンツを公開している新聞社の記事になっていることに気付いていますか?

ネット検索の結果、コンテンツがどんな順番に表示されるかについては、専門的で複雑な事情があるので触れませんが、大まかに言って、アクセスが多ければ多いほど上位に表示されるようです。

ネット利用者が受けている最大の恩恵は「多様性」です。新聞社が自分の利益を最優先に考え、利用者の囲い込みに走った結果、新聞社系のコンテンツが利用しにくくなり、利用者の期待値もどんどん下がるとしたら残念なことです。ネット利用者がネットの現状について何を感じ、どう行動しているのか。その中で自社のコンテンツがどう利用されようとしているのか、にもっと関心を持った方がいいです。

新聞社のニュースをネットで読もうとしても、途中で有料サービスに誘導されるので、最近では見出しをサッとながめるだけになってしまいました。新聞社が提供してくれるニュースコンテンツへの期待がどんどん下がっているのを実感します。

ネットで「主読」を決められるのなら、有料契約することにやぶさかではありません。しかし、そのためには新聞購読とはまったく異なる体験を提供してくれることが最低条件です。一部に例があるように、新聞購読者に限っておまけとしてネットコンテンツをサービスするレベルでは話になりません。

今なお新聞に親しんでくれている人が、ネット商品をどの程度希望しているのでしょうか。そのあたりのリサーチがいい加減だったり、スマホ全盛の世の中にあって、新聞全紙大の画像を価値あるものと勘違いしたりしてはいないでしょうか。新聞購読者、ネット利用者双方のニーズをもう一度洗い直した方がいいでしょう。

いわゆる全国紙の場合、地理的にみると、新聞とネットのマーケットがほぼ同じなので、ネット環境に合わせた新サービスを開発するには苦労が多いはずです。今の時点で有効なのはネットコミュニティを面白くかつ多彩に演出するサービスぐらいです。それも、全国展開のメディアにありがちな、テーマに依存するタイプのコミュニティでは駄目でしょう。地理的環境を本格的に踏まえたコミュニティビジネスを幾つも開発するぐらいの思い切りが必要です。

地域に由来する新聞社なら地域限定の新聞と、その気になれば地球規模で広がるネットのマーケットが重なることはありません。最も得意とする地理的要素をしっかり踏まえたネットビジネスを開発できない方がおかしい。条件の違う全国紙の動向を気にしたり、とりあえず目につく先行事例を真似たりするだけではどうしようもありません。成功への可能性は自らの中にある、と考えた方がよさそうです。

*写真は本文とは関係ありません。

「これからのローカルメディア」(NHK仙台放送局 『ゴジだっちゃ!』のために用意したメモ)

「これからのローカルメディア」(NHK仙台放送局『ゴジだっちゃ!』2018年10月25日のための準備したメモ)

  • ローカルに限った話ではない。この20年の間、インターネットやデジタル技術が社会の隅々まで浸透した。今後も、人工知能、ロボットなどの技術に注目が集まり、メディアの世界も変化を重要な余儀なくされる。
  • 全国的に事業展開している新聞社やテレビ局などについては誰もが取り上げるが、各地で独自に活動してきた数多くの地方新聞社や地域を基盤とするさまざまなコミュニティ放送等はほとんど取り上げられない。
  • しかし、現実にはさまざまな新聞が存在するし、放送にも多様なスタイルが存在する。いわゆるジャーナリズムや報道の意義や価値をめぐる議論も、本来なら双方のタイプのメディアが存在することを前提に行われなければならないのに、なぜか世の中に流通するのは全国的な新聞や放送にまつわるお話ばかりだ。地域に由来する地域メディアの当事者たち自身が、ややもすると自らが担ってきた役割や責任を自ら矮小化し、全国的に展開するするメディアと地域メディアとは異なるものだと言わんばかりの勘違いな発言にも少なからず出合ってきた。あえて「地域メディアにジャーナリズムは不要だ」と言い切ることで、自らのメディアとしての意義をデザインしたつもりなのだろうが、それは重大な勘違いにすぎない。規模の大小やスタイルの違いはあっても、複雑な社会課題や地域課題に向き合うための基本的な原則に違いはない。地域メディアには地域メディアなりの、逃れられない報道原則が存在する。加えて誤報は出さない。人権は尊重するなど、実務上、守らなければならないポイントも多い。
  • インターネットの爆発的な普及に伴い、メディアの世界にも厳しい変革の時期が到来してほぼ20年が過ぎた。ややもすると無視されがちなローカルメディアにまず重点を置きながら、「これからのメディア環境」全般について、多くのみなさんとともに考えたい。新しい時代を支えるにふさわしい、ユニークで楽しげなメディア事例が全国各地に生まれ、それらがネットワークを組んで進むようなメディア環境を妄想している。
  • いわゆるマスメディアに属する地方新聞社を卒業後、この5年ほどは既存のメディアの領域については傍観するだけだった。かつて一緒に仕事をした同僚や業界有志たちのなかには新聞とデジタル&ネットを組み合わせるべく悪戦苦闘しているケースもあるが、地域に立脚するメディアのほとんどがネット時代に対応しきれず、苦戦している。
  • もちろん質問されれば全力をあげて答えたいとは思うが、まず当事者自身がその気にならなければ、問題解決のスタート台にも立てない。
  • 言うまでもなく「これからのローカルメディア」は可能性に満ちている。全国的に展開する新聞やテレビと違って、ローカルメディアの開発・運営を目指す場合、地域それぞれに独自の歴史的背景や文化を備えている。その点をしっかり意識し、自分の立ち位置を生かしたアイデアを幾つもひねり出し、試し、大多数は失敗に終わるー。そんなプロセスを覚悟する中からしか光明は見えてこない。挑戦する価値は大いにある。
  • 地域メディアの現場における実際の取り組みは、同じ業界の先行他社の事例を、何とか自社に応用しようとする、横並びの思考回路から抜け切れていない可能性がある。しかし、今後、百年を支えるストーリーが同じ業界のどこかに、適用可能な形で存在していると思ったら大間違いだ。
  • ネット技術やデジタル技術は、何か特定の業種を狙い撃ちしているわけではない。社会全体に強烈な見直しと創造を求めている。誰にも止められないし、逃れることもできない。
  • 地域に立脚するメディアが目指すべきプロセスの第一歩として、自分がよって立つ社会の変化にまず焦点を合わせよう、そこから見えてくる新しい技術と社会の関係について十分理解しながら、自らの事業を位置づけるステップを工夫しよう。
  • そんな思いで、あらためて自分の足元を見渡したところ「これからのローカルメディア」のありようについて、必要な前提を初めから押さえ、実際の活動に着手しようとしている若い世代が複数存在した。ほぼ3年を費やしてまとめたのが拙著「仙台発ローカルメディア最前線 元地方紙記者が伝えるインターネットの未来」(デジカル、2017年5月)だ。アマゾンで紙・デジタルどちらも入手可能。
  • 「仙台発ローカルメディア最前線」で紹介した3つの事例には、既存メディアの現場で苦労している少数の人たちにとっても参考になるヒントが多数ひそんでいる。「これからのローカルメディア」のありようを一つの文脈で提示することはもちろんできない。全国各地の地域事情を、デジタル&ネット、さらには人工知能やロボット技術と掛け算して初めて視界が開けるはずだからだ。たかだかこんな単純なことでも、「これからのローカルメディア」の担い手としての自覚がない人たちは残念ながら分からない。
  • 「これからのローカルメディア」は強力な地域性を最大の武器にグローバルに展開するものになることだけは間違いがない。ローカルメディアにとってジャーナリズムは邪魔だとか、全国展開するメディアと草の根のメディアは異なる-といった勘違いとは対極に広がる空間になるはずだ。
  • 地域の人々を巻き込む意義を考えたい。「ゴジだっちゃ!」の杉尾さんはじめ、スタッフのみなさんはとっくに気付いていると思うが、実際はとても難しい。地域の人々を報道の世界に巻き込もうとすると、必ず出くわすのが「報道の仕事はプロフェッショナルが責任を持って担う必要がある」といった人々だ。報道に使命を果たすために肩に力が入った人ほどそうした傾向が強い。そんなものは当然の前提にすぎない。この20年から30年の間、社会がたどってきた複雑系の世界では、価値観が多様化し、伝統的な手法では社会問題の存在さえキャッチできなくなってしまっている。
  • つまり、社会問題が存在することと、その解決のための手法やプロセスを提案することはジャーナリズム、報道、ニュースのプロたちの仕事のはずだが、実際はインターネットひとつとっても「内向きプロたち」の手には余る。組織の都合や生産(プロダクツ)する立場の論理を優先的に振りかざしがちな人には、問題のありかを言い当てることができない。在野の人々の知識や経験が内向きのプロをしのぐことは珍しくないことにさえ気づかない。ソーシャルメディアによる開放系の情報経路の発達がごく普通の時代になっても、古い常識にとらわれ続ける人たちには、拙著「仙台発ローカルメディア最前線」で取り上げている「未来ビジョン」の受講をおすすめする。
  • インターネット登場以来の刺激的で、自らの立ち位置を揺さぶられるような日々を通じて、メディアと市民との連携・協業の重要性にやっと気づいた。ローカルメディアだからこそ可能なシナリオを考えたい。拙著の第1部に記した「TOHOKU360の挑戦」「ウルッシーの八面六臂」「地域アーカイブの地平」をぜひ読んでみてほしい。いずれも「これからのローカルメディア」の典型的な成功事例とはまだいえない。あくまで途中経過、模索の現場だが、そこで彼ら彼女らが向き合っているのは、今後すべてのローカルメディアが乗り越えなければならない壁である。
  • 抱えている問題も、一つひとつにしっかり向き合わないと解けない。普通の人々が参加するメディアといっても、経験はほとんどない。日本でも、市民メディアの議論の中で市民参加のケースがなかったわけではないが、すべて失敗に終わっている。その理由は、ビジネスモデルの新しい形を目指すあまり、メディアとしての手順や実態が粗雑で荒っぽく、ニュースメディアとしての価値を有するかどうかの検証も不十分だった。
  • 前職中からNHKの放送局の方と何度も話す機会があった。テーマはいずれも同じ「地域との連携」「視聴者との交流」を進めるうえでネットをどう使えばいいか、だった。NHK仙台放送局の「ゴジだっちゃ!」は、2011年3月11日の東日本大震災の経験を踏まえながら地域と連携するシーンをいくつも作りつつあるように見える。それはとりもなおさす、仙台という百万都市における「これからのローカルメディア」づくりの一例だ。
  • 既存メディアの中にいる後輩たちも、こうしたことはとっくに気付いていて真剣に取り組んでいると思いたい。既に「市民記者」的なアプローチを採用している事例も結構あるはずだ。
  • しかしながら、既存のメディアの現場では、市民記者は本職の記者の仕事の空白や余白を埋めるためだけに利用されがちだ。素人の文章は手がかかる、危ないと本音では思いながら上から目線でのぞむことがないわけでもないだろう。市民との関係を自分本位で組み立てようとしても無理。市民は、新聞社の経営を助ける合理化ツールではない。人件費を節約するためだけに市民記者を使うような発想は市民に対して失礼というものだ。
  • 私自身も何度も経験したが「文章教室」を新聞記者に頼むケースがよくある。新聞記者は文章のプロ、という思い込みが世間的には存在する。しかし、新聞記者は新聞業界が長い時間をかけて作り上げてきた新聞独自のルールの世界で文章を書くのは得意だが、日本語の魅力や可能性を柔軟に取り入れる意味では、必ずしもたけているわけではない。ごく普通の暮らしの中で物事をとらえる人たちの感性や文章表現の幅の広さを、新聞社で働いているというだけで自動的に上回れるものでもない。
  • TOHOKU360編集現場をのぞいてほしい。取材し、編集・発信するニュースの現場にはさまざまな役割がある。市民参加のメディアは、その役割を明確にし、多くの人たちが担えるような環境を備える。その姿はまるで「ニュースコミュニティ」のようだ。
  • ニュースを編集する過程の最終関門として、ニュースの内容に責任を持つ、誤報は出さないという二つの要請を確実にするために、校閲などの編集上の工夫が必須になる。TOHOKU360の場合、ニュースを取材し執筆する「通信員」(=ライター)一人ひとりの個性や感性を最大限重視する。他のメディアと不毛な競争をするために「通信員」の個性をそぐこともしない。編集責任者と「通信員」の間でキャッチボールが何度も繰り返されて初めてニュースとして公開される。実際にやってみるとすぐに分かるが、「通信員」の個性を尊重しながら公開可能な記事に仕上げる作業は、簡単ではない。
  • 既存の新聞社にも、いわゆるデスク、キャップと呼ばれる立場がある。その場合も経験と失敗、失敗してもまた立ち上がる能力が必要だが、新聞独自の編集ルールがある分だけTOHOKU360よりは容易な側面がある。新聞の世界でデスク、キャップと呼ばれ、他の記者が書いた記事を公開可能な形に仕上げる役割を長いこと経験した立場からしても、TOHOKU360のデスクワークには忍耐力と柔軟な感覚、筆者とのコミュニケーション能力が求められる。
    (終)

停電という名の断絶/北海道胆振東部地震/テレビ報道とSNS

大変な災害がまた起きてしまいました。最大震度7を記録した「平成30年北海道胆振東部地震」。9月6日午前3時8分の地震発生直後からテレビとネットを通じて得られる情報に引き込まれています。

NHKの報道番組で、アナウンサーがしきりに繰り返していました。

「わたしたちが流すこの情報を、SNSを通じて知り合いやお友達に伝えてください」

テレビの報道番組が、ソーシャルメディアによる情報の拡散を視聴者に呼び掛ける姿は初めて見たような気がします。既に災害報道のマニュアルに組み込まれているのでしょうか?

今回の災害の特徴の一つは広大な北海道のほぼ全域があっけなく停電になったことです。電気を使えなければテレビを見てはもらえません。何よりも優先して考えるべき被災者を情報過疎に追いやってしまった点でも、まぎれもなく異常事態、政策の失敗といっていいでしょう。

テレビの現場の人たちがどんな思いで「SNSを」と叫ぶのか、じっくり取材してみたいものです。

「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」/畑仲哲雄さん

同通信社からアカデミズムの世界に飛び込んだ畑仲哲雄さん(龍谷大学社会学部准教授)の「ジャーナリズムの道徳的ジレンマ」は、現代のジャーナリズムが抱えるさまざまな問題点や課題について考え、解決の道を模索するための書です。新聞社やテレビ局など報道機関の「中の人」が当事者として問題を認識するための準備ツールと言っていいでしょう。

Webで連載が始まった直後は畑仲さんの脳内トレーニングの成果も含めてとりあえず重要な論点が初めから提起されていることに満腹感を感じてしまいました。これから多くの本を読み、考えるべき学生さんにとっても、いささか親切すぎるのではないか、と感じたものです。筆者の深い意図を知る前に投げ出してしまったことを自白しなければなりません。

罪滅ぼしになるかどうかは分かりませんが、第4章「ルールブックの限界と課題」のCASE013「ジャーナリストに社会運動ができるか」をテーマに議論したい気分いっぱいです。他の問題も含めて、組織としての報道機関の本音と建て前が微妙に絡むし、「記者」を職業として選んだ人の、本来あるべき可能性や拡張性など、素材にしたい観点が多々あります。とはいえ、「中の人」がその気にならないのに、外側であれこれ話しても仕方がないのですが・・。

米国でメディアの勉強をするんだそうですね。

単なる偶然なんだろうと思いますが、新聞や放送の今後について「米国で勉強する機会をもらった」という話が立て続けに飛び込んできました。聞けば、既存のメディアとして先行きを見通すことが難しいので、米国のICT事情をしっかり学び、自分がかかわるメディアの将来ビジョンを考えたいとのことです。

メディアビジネスの新しいモデルをどう作ればいいのかを、どこで考えるかは問題ではありません。というか、自分の守備範囲とあまりかけ離れたところで意識を広げても、あまりいい結果にはつながりません。欧米のモデルが自分の守備範囲においてもそのまま有効ならこれほど楽なことはありませんが、現実にはなかなかそうはいかないものです。

それでも、日常の仕事の現場をいったん離れて、頭を冷やし、新しい出会いの中で刺激を受けたり与えたりするのは、面白いし、非常に有効です。頑張ってほしいものです。

米国行きについてあれこれ聞きながらメモをまとめました。おひとりには参考までにお渡ししました。自分の備忘録にする意味も含めて、差しさわりのない範囲で書いておきます。(長文です。ご注意ください)

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「メディアと地域」

佐藤和文(メディアプロジェクト仙台)

メディア社会の現状については既にさまざま論点があるが、大状況として最も深刻なのは、信頼するに足る情報にたどり着くことが、どんどん難しくなっている点だ。ためらいもなく理由なき誹謗中傷を繰り返す事例がはびこり、「フェイクニュース」はビジネスモデルの顔をして登場することさえある。「フェイクニュース」の実態は非常に深刻なのに、問題を一種の流行現象のようにとらえ、軽視する気分さえ強まっている。

もともと真実を伝える作業は困難な道である。ブログやソーシャルメディアを利用した情報発信が容易にでき、誰もが発信者になれ、膨大な量の情報が流通する社会において、自分に必要な、本当に信頼できる情報を選択するのは難しい。

インターネットが登場してほぼ20年、とりわけソーシャルメディアがもたらしている価値の細分化や分断に注目し、的確に対応する必要がある。特にオンラインで好きな者同士が集うコミュニティ志向の広がりと、その対極にある、嫌いな者同士の相互不信・憎悪の同時進行は、今や現代社会の病巣といっていいかもしれない。

インターネットがもたらしつつある諸問題については、メディアの現場の担い手たちがどう乗り越えるか、その覚悟と具体的な方法論が問われている。この種の諸問題は、ネットが登場した直後から意識されてはいた。「メディアリテラシー」と、それをめぐるさまざまな議論が起きたが、主にネットを使う側のトレーニングの問題、教養のレベルとして位置づけられてきたきらいがある。ネット事業に取り組む企業や人々にとってのテーマと言われることもあったが、その取り組みはデジタル革命の足の速さにまるで追い付いていない。

同時に、いわゆる民主主義的な判断や選択が支配的な社会に住むと、われわれ自身思っていたのに実はそうではなかった。われわれの民主主義は、いとも簡単にポピュリズムの悪弊に飲み込まれがちで、未熟なものであったことが、明らかになってしまった。

こうした問題を多様な局面で乗り越えるには、たとえばメディアがよって立つ歴史や背景を超えて、取り組む必要がある。公的な側面を持ったメディアも、純然たる民間メディアも、例外なく目指すべきゴールは、信頼できる価値観と情報の所在が容易に見通せる社会だ。

新聞社や放送局のような「古いメディア」には「マスゴミ」のような罵倒もついて回る。マスメディア業界が長い間、放置し続けてきた問題も多数残っているが、一方で、長い時間をかけて鍛えられてきた経験や実績がある。その大部分は、古い倉庫に眠っている状況ではあるが、それらを掘り出し、適宜生かしていく以外に、有効な手はない。

その一方で、ネットメディアのような新興のメディアは、伝統的なメディアとは異なる立ち位置と風景が広がっていること、技術やコンテンツ編集の手順等において、新しいニーズのこたえ、ニーズを生み出す力もある。

メディアが信頼を取り戻すためには、ビジネス至上主義的な価値観だけにとらわれているわけにはいかない。ネット社会に生き残るメディアとしての外観・内実を一日も早く身に着ける以外に道はない。時間はあまり残されていない。

以上のような認識のもと、「仙台発ローカルメディア最前線」は発想された。既存メディアが今後、たどるべき方向について具体的に提案することはあえて避けているが、多様なメディアの現場の担い手として、問題に向き合っている人たちには気付いてもらえるように編集してある。

●主なポイント
①NHKの宮城ローカルラジオの取り組み「ゴジだっちゃ」に注目している。特に「だっちゃ通信員」を軸とする『地域密着イズム』。

②NHKのネット活用は飛びぬけている。地域展開も、午後11時過ぎのニュース番組で、目玉の一つとして使えるぐらいのレベルにある。

③そうした前提で、あえてポイントを上げるとしたら、まずNHKが地域との関係で何を目指しているのか、よく分からない。目標は?ゴールは?地域ニュースを万遍なく伝えるだけでは、ほとんど何も考えていない、地方新聞社のウェブサイトとなんら変わらない。

④たとえば、放送の世界について、個人的な関心を一つだけあげると、時間順に配列編成したコンテンツサービスを必要としない人たち、今後、どのようなコンテンツサービスをどう準備していくのか?

⑤地域に由来する新聞社は今後、30年ぐらいの間にどんなステップを想定すればいいか?地域との関係をどうイメージするか?

⑥新聞に代わりうるメディアビジネスをどう構築するか?
⑦「未来ビジョン」(「仙台発ローカルメディア最前線」参照)の策定を自らの意思で、自らの手足を使って行う。
⇒どんな未来を引き寄せたいのか。当事者としての意思がまず大事。

⑧安心して利用できるメディアであること。報道、情報・・。

⑨地域とメディアの関係を考えるうえで、今、一番、重視しているのは参加性。視聴者、読者・購読者が閲覧・参照するだけではなく、参加可能なシーンを無数に開発する。

⑩地域メディアとして、今、保有するリソースの再点検。地域のアクティビストとの連携。特にメディアが蓄積し、保有する情報・コンテンツは社会全体のものとの視点に欠けている。メディアが蓄積し、保有している情報・コンテンツは、メディアにとっては重要な資産でもあるが、資産であると同時に、社会的な有効活用する論理とセンス、事業モデルの開発が重要だ。

⑪重要かつ見逃されることが多いポイントの一つが地域の多様性。地域固有の背景や特徴をしっかり浮き彫りにしながら戦略を立てる必要がある。同時にそのことは、「中央」で考える以上にややこしくて複雑。何か一つモデルを作って、一気呵成に市場を支配するような場面は想定できない。仙台と札幌、神戸、広島は異なる。類似点を無理やり探して効率的な手法を考える発想-横並び物まね-はもはや通用しない。ネットの世界では「きょうのチャンピオンは、明日の敗者」である。うまくいったと思うとすぐに陳腐化する点も日常の風景だ。ネット特有の環境を嘆くのではなく、そうした厳しい条件を、普通のこととして受け入れ、絶えず再生・循環できるような仕事環境・基盤を開発する必要がある。多様な地域社会を背景にしているからこそ可能。

特に安易な「でわ(出羽)の守」的アプローチはことごとく失敗に終わる。地域に詳しい人たちが地域固有の事情を活用し、世界とつながりつつ企てる必要がある。本当の意味での地域間競争をいかに充実させることができるかにすべてはかかっている。

⑫「未来ビジョン」自体、メディアと地域のプレイヤーとのコラボを通じて策定されるべきだが、一つだけポイントを上げるとすれば、メディアの照準は、地域社会が抱える複雑な社会問題の解決に合わせる必要がある。

⑬東日本大震災クラスの大災害にどう対応すればいいのか。7年前の教訓は生かされているか?

⑭仙台圏におけるアクティビティをフォロー中。
TOHOKU360、NPO法人メディアージ、佐藤正実さん(3.11オモイデ・アーカイブ主宰

⑮取材者であると同時に当事者であろうとするアプローチをあえて採用している。

「聞き孔」から人生を知る/朗読ユニット「100グラード」の渋谷亜也さん公演 仙台

2014年に活動を始めたリーディングユニット「100グラード(ハングラ)」(渋谷亜也GM)の第4回公演「忘」が2018年2月3日、仙台市青葉区一番町のカフェ「キジトラ」で開かれました。伝えたい内容を持ち、自分ならではのスタイルで聴衆(市民)の前に立つ人自身がメディアにほかならないという理由で「100グラード」の活動に注目してきました。以下、その感想をまとめたメモです。文章を推敲することの意味など、未消化なポイントは今後の宿題です。

「リーディング」の厳密な定義は難しいのですが、ここでは「朗読」あるいは「朗読劇」と言い換えます。「100グラード」のリーディングは一人ないしは二人で朗読するスタイルです。基本的に音響は使わず、渋谷さんらが観客の前に立ち、台本を朗読しますが、楽器の演奏者と共演した例もあります。

今回は渋谷さん一人による公演でした。「たねいもisロック」「ひつじさんのおうち」は渋谷さん自身が書いた文章です。「ぜつぼうの濁点」は絵本「ぜつぼうの濁点」(文・原田宗典、絵・柚木沙弥郎)から。ニュースサイトTOHOKU360に渋谷さん本人が通信員として書いた記事を朗読する「ニュースリーディング」も、新しい分野として注目されます。

朗読は「非日常と日常の間に、ふわふわした感じをゆったりと楽し」(渋谷さん)む世界です。朗読者の言葉に耳を傾けながら、話の流れを楽しみ、言葉の抑揚や響きに身をまかせます。一つの言葉にうっかり気を奪われると、前後の関係が分からなくなります。最初からやり直してもらうことは当然無理ですが、それもまたよし、でしょうか。

映画評でも知られる小説家、辻邦生さんが「私の映画手帖」(1988年)の中で、映画について「覗き孔(あな)から人生のスペクタクルを見」ると言っています。辻さんの言葉を勝手に拡大借用すると、「リーディング」は「覗き孔」ならぬ「聞き孔」を通して人生のスペクタクルを味わう機会-と考えればいいのかもしれません。