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「情報がただ」はやはり異様。新たなビジネスモデルで転換を/「ザ・ページ」の意味を考える(5・完)

 奥村:僕の中のジャーナリズムの受容度というのは、まずそこです。同じ論評の中でも、色というか、個人の意見を含まないものにしたい。それは媒体としての意見を持たないということです。安保法制に対して賛成か、反対かとか、軽減税率に対して賛成か反対かの意見を持つのではなく、それは何であるかがその場に来たら分かるもの、というのが、僕らが考えている論評の範囲です。

 そこから先、オピニオンを使っていこうとすると、いろんな人を集めなければならない。右の人、左の人、賛成の人、反対の人という具合に。そこは今、僕らの体力でできるかどうかは難しい。
 それと同じレイヤーで、地域の人たちの情報発信、たとえば今、農業が苦しい。もう少し補償の費用を増やせ、という、一方的な意見だけを紹介することはジャーナリズムとして受容できるでしょうか?

 -伝統的に新聞は中立であるべきだと言われてきたことと、同じですか?

●社論は持たない。

 奥村:何を客観的というかは難しいが、最低限、社としての社論は持たないということです。たとえば「社会があるべき方向を示す」というようなことを目指したいわけではありません。社としてそういう方向を示すつもりもない。

 -立場ではなく、個別のテーマによって、ユーザーが必要とする材料を提供するのがジャーナリズムであるということですか?

 奥村:そうですね。そこで言うジャーナリズムは、活動としてのジャーナリズム、メディア活動としてのジャーナリズムです。理念ではなくて。

-色がつかない情報ということをユーザーはどう受け止めるでしょう。

●自分に合った記事を支持

 奥村:おっしゃる通りで、無味無臭がいいと思うユーザーの数はさほど多くはありません。むしろ、自分の主義・主張にあった記事を投下してくれるメディアを支持する方向はありうると思います。

 インターネットでは、ニュースはばらばらに、アンバンドルされて届けられます。そうすると、同じニュースを読んでも、人によって「ザ・ページは左だ」とか、「ザ・ページは右だ」と、勝手に色をつけることも、容易に起こりえます。「君のところは左なのか、右なのか」と、お問い合わせページに意見を寄せられることがあります。左右、両方から批判を受けるのなら、むしろその方がいいと思います。右に向けても左に向けても、うまく書いている証拠であるかもしれませんから。

<ここから取材メモ>

 インターネットが登場してほぼ20年。日本の新聞界は米国に比べれば、まだ傷は浅いと感じているせいか、「デジタル社会」と本気で向き合っている例はごく一部にすぎません。特に地方新聞社の多くは、依然として新聞中心の価値観を大事にしているように見えます。そのこと自体、否定されるべきではありませんが、これからのデジタル社会を乗り切るためのウイングだけは確実に伸ばしておく必要があります。多くの新聞社が実際は「デジタル初心者」にすぎないのに「デジタルは売り上げにならない」と判断し、紙の世界の平和だけを追い求めるのはあまりにも早とちりです。
<ここまで取材メモ>

 奥村:インターネットに記事を出さなくすることは、新聞社が決断すればできると個人的には思っています。情報がただで手に入る点で、この20年こそが異様でした。本来、お金を払うものでしょう。どこかで転換できなければ、それこそ新聞も終わりかねません。そうなれば他のメディア業だって成り立たなくなるような気がしています。広告モデルが終焉を迎えるのではなく、何らかの形で続くにしても、5年ぐらいのスパンで見ると、やはりもう一つの柱として別のマネタイズが必要です。

●企業体としての力が試される。

 -コンテンツをどう編集し、売れるものにするか、欲しい人にどう届けるかが重要です。記事をネットに流すか、流さないかという、単に開け閉めの問題ではありません。どこかが閉めれば、独自の展開をする社が必ず出る。無料か有料かではなく、ビジネスモデルを3通りか4通りは作っておかないと駄目だしょう。

 奥村:そうだと思います。そこはビジネスの勝負ですよ。企業体として一番力が試されるところです。少なくともジャーナリズムの勝負ではありません。

 -「インターネットが登場したために新聞が減った」というところにばかり話は向かっています。でも、新聞社にとって、ネットと付き合ったからこそ、できるようになったこともたくさんあります。これからのデジタル社会を考えれば、そうした実績や成果の方が大切なのに、そこには考えが及ばない。新しいビジネスモデルをどう作るにしても、新聞業界は参考にする事例を間違えているのではないでしょうか。

 奥村:どういう意味ですか?

 -アメリカやヨーロッパの例を参考にしても、少なくとも地方紙にはほとんど役に立ちません。地方紙が全国を相手にするなら、参考になる事例やヒントはありますが、視界が広がらず、自分のおひざ元だけが大事という話ではどうにもなりません。せっかくインターネットという環境を手に入れたのに生かしていない。

 奥村:地方新聞社の「カルマ(業)」みたいのものですかね。

 -ありがとうございました。

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