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豪傑なネットワーク/晴れときどき昔話(2)

地域に由来する新聞社を「あきらめないネットワーク」をささやかに作りたい。最近、そんな妄想が膨らんでいます。デジタル化と地方新聞社の関係について、新聞界の当事者と激しく、厳しく対峙し、提言できるような豪傑な場が必要だと思うのです。

新聞社内の圧倒的少数派であるネット部門で長い間、四苦八苦すると、新聞業界のありようには他の誰よりも批判的になります。「近視眼的頑迷固陋」「デジタル時代の夜郎自大」「食わず嫌いのネット嫌い」・・。普通の大人なら口にするのもためらわれるようなことを言ったり、書いたりしてきました。 嫌われもしました。たぶん。社内で遠巻きにされる感じ。そんな感触もきっちり味わいました。

そんなわけで2014年3月末でやっと新聞社を卒業した直後は、業界関係のテーマからは足を洗おうと決めました。マスメディア流儀ではない、ローカルメディアの可能性について、ああでもないこうでもないと考えたり、取材したりしています。

自分を育ててくれた業界の悪口を言わないで済む分だけ精神衛生上も健やか-のはずでしたが、定年間際にフェイスブックで目にした若い人の本音があまりに強烈でした。

「新聞社を卒業した後、自分の出身母体について気楽に批判するのはやめてほしい。新聞社をこのような状況に追い込んだ当事者のはずだ」

まったくその通りです。新聞社に身を置き、「中の人」としてデジタルを扱っていると、どうしても「内圧」の方が強いものです。新聞社出身の人たちが楽ちんな場所にいて展開する新聞限界論は、あまり読みたくなかったものです。

「新聞社をあきらめない」と、うかつに言おうものなら、立場の異なる人から厳しい批判を受けるかもしれません。でもね、東日本大震災を何とかかんとか乗り越えた経験で言えば、地域に密着する新聞社の意義、重要性は、すでに再構築済みなのですよ。

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