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あれは失業だったんだよ。/晴れときどき昔話(1)

地方新聞社の新聞の世界で23年、突然の社命を受けてネット分野に移って17年、通算40年の間、地方新聞社で仕事をしました。「これからは新聞社もインターネットに取り組む必要がある」と当時の上司に言われて、それもそうだな、と思ったのが運命の分かれ道でした。

住み慣れた新聞のフィールドを離れて、社の指示通りインターネットを何とかしなければと思ってはみたもののすぐに分かりました。「あ、俺は失業したのかも」。そのときは漠然とそう考えただけですが、2012年3月で定年を迎えたときに、大先輩がくれた励ましのはがきに「周囲から石つぶてを投げられる中、あなたはインターネットの仕事をよく頑張ってきた」という意味のことが書いてありました。

そうか、石つぶてを投げられたのか俺は、としみじみしました。新聞からネットに移って以来、最大の失望・落胆は、インターネットというだけで警戒・反発をあらわにする身内の存在でした。今は、そんなことはないと思いますが、お願いだから若者たちに石つぶてを投げるのはやめてください。(笑い)

何しろ新聞記者として培ってきた知識や人的ネットワークがほとんど役に立ちませんでした。知識は取材すればいいのだから何とかするとして、人的なネットワークが役に立たないのには困りました。新米記者時代のように先輩の背中を見ながら覚えるなんて芸当はできません。社内にインターネットを知っている人が一人もないのですから。外部に人を求める以外にありませんでした。

世はインターネット時代。東京で探せば「専門家」はそれなりに見つかりました。けれども残念なことに専門家といわれる人たちが興味を持っていたのは、主に映像系のメディアでした。「通信と放送の融合」ってやつです。新聞についての知識や経験が豊富で、インターネットについても語れる人は皆無でした。ちょっと前に流行ったテレビCMの「自分でバンバンする」というキャッチコピーがしみました。新聞社でインターネットをやろうとするなら、何でも自分で試してみる以外にないのでした。

スポーツニュースで、大リーグの試合が映ることがごくたまにありました。その際に「http://www.aaabbb.com」という文字列が見えただけで物珍しく、「おお、アメリカはあんなことになっているのか」と感心した時代です。

ほとんど何もない中でインターネットを仕事にするのと、今のように情報、ヒント、手掛かり・・と何でもある環境で新聞社のありようを考えるのとでは、どちらがどうなんだろう、と思うことがあります。

 

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