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あらためて「市民メディア」/関本英太郎さんに聞く(下)

前回から続く)

関本 いろんな発信の仕方はあるが、結局、みんなが自分の問題意識で作品を作っていく。大事なのはそこだけなんだ。

これまで紹介したのは交流集会でぼくが教えられたほんのわずかの例だが、2014年の大会は反省しきりだった。地域性もあるだろうが、映画が好き、映画製作に凝っている人たちがたくさんいて、それはそれで大いに感心しながら見ていたのだが、結果として映画を巡る企画が際立ち、交流という目的があまり機能しなかった。地域との交流を願っていた市民グループには不満の元になった。これは世話人としてのぼくの反省。

武蔵野・三鷹の「むさしのみたか市民テレビ局」に触れるのを忘れてはいけない。そこは独立しながらも、ケーブルテレビとパートナーシップ契約をして放送している。

佐藤 一方で「地域メディア」と言い切ってしまうと、狭い「たこつぼ的」なところにそれぞれが入り込むという感じもしますが・・。

関本 ハイパーローカルメディア「オークランド・ローカル」でもそうだったように、それぞれの地域はそれぞれにいろいろな問題を抱えている。そうした問題をまず地域の人々が問題として意識し、自ら解決の道を探ることが重要だ。「グローバル社会」だと言っても、いきなり外に向けて広げればいいというわけではない。
佐藤 その活動が良いものであれば、次第に広がっていくということですか?

関本 地域の問題を一番よく理解しているのは、地域の人だ。そういう人たちの考えていることや発信・表現能力をどのように高めていくかという問題意識で取り組まなければならない。誰かがその地域に取材に行って、地域の人たちの思いを肩代わりして表現するというのではなく、そこに住んでいる人たち自身を生かせるような形でメディアを作っていかなければならないと思う。

関本 逆に質問なんだが、既存メディアには今の状況に対応できる力はないのだろうか。

佐藤 地域には、メディア的な振る舞い方が得意な人たちや組織がどんどん増えています。ITは確かに複雑で面倒なことが多いし、リスクも存在しますが、半面、情報を集め、熟成・発信させる環境を大きく広げました。既存のメディアが、もっと周囲を見渡し、長期的かつ柔軟な発想を発揮して、地域のメディア的な人や組織との間に、多様で魅力的な関係を生み出すことが必要です。

しかし、今のところ、残念ながら可能性よりも困難さの方をより強く感じます。既存メディアの立ち位置の重要さを思えば、土壇場の力を期待したいところですが、歴史が長い分、メディアという特殊な世界で生きてきた分、組織の動かし方が内向きすぎます。

たとえば新聞、テレビは事実を客観的に伝えると言いながら、いつの間にか、受け手との関係で高みに立ってしまいました。日本にインターネットが登場してほぼ20年になります。日本の新聞社、特に地域に由来する新聞社のネットへの対応を見ていると、報道という、特殊な世界観に閉じこもっているうちに、自分が理解できないことは、存在してほしくないと思うようになってしまったのではないかと思わざるを得ません。

常に「自分が一番」的な意識が抜け切れない。世界が劇的に変わり、そこに住む人たちの意識も大きく変わろうとしているときに、自分の能力の範囲で事を済まそうとする。致命的なまでに問題です。インターネットが登場して以来、ネットの大きな影響力、浸透力について、自らの紙面や番組で連日報道しているはずなのに、自分の問題となると、懐かしく、親しみやすい環境に逃げ込んでしまう。

インターネットの話に限定すると、10年やってみたけれども、インターネットは駄目なんじゃないか、というのが今の新聞社群、特に地域に立脚する新聞社群の、組織としての判断のようです。

もちろん、ごく一部に例外的なケースはあります。でも、多くは、長期的な視点、戦略的な視点を自ら放棄してしまったようにわたしには見えます。今からでも遅くはありません。3年後、5年後を見据えたメディア戦略を作り、今日からでも始める必要があります。そうしないと、ただでさえ人材が不足している組織に、ますます必要な人材が育たなくなります。デジタルに投資するんだったら大切な新聞に投資すべきだと考えたい気持ちは分かります。でも、そういう判断をしている人たちがこれから先、10年もメディアとしての責任を担えるわけではありません。

事業効果としてはなかなか利益が上がらないとしても、世の中の動きについていける人材を養成することから逃げてはいけないと思います。この10年、とにもかくにもネットをかじった人材が新聞社内に育っています。彼ら彼女らを腐らせることなく、輝かせる道を探ることが、すなわち、新聞という古いメディアに新たな光を当てることになるんだと思います。

この20年の間、仮に既存メディアのネット嫌い、デジタル嫌いがそのまま通用したとして、ネットを知らない、使えない、データベースが何のことか分からない経営層が運営するメディアは考えられません。ネットを使って検索もできない、ウェブでニュースを発信することもできない、ブログも書けない記者や編集者だけで成り立つメディアなんて考えられませんよね。今でも既存メディアを取り巻く状況はほとんど変わっていません。

 関本 いわばメーンストリームの新聞の状況を聞いていて、こんなことを思うんです。そのデジタル版というのは、基本的に自前で作ろう、作ったものではないですか。要するに、囲い込みなんです。でも、もう少し考えてほしいいのは、メディアの時代状況です。この間もある大学で学生に新聞を購読していますかと訊ねたところ、ネット情報があるので、それで十分と思い、購読をやめましたという人がやはり何人かいました。

佐藤 どのように受け止めますか?

関本 情報を入手する手段は、もはやメーンストリームに限られないわけです。いろいろなところから有用な情報を手に入れることができる。であれば、メーンストリームもその考え方を生かしてみるというのはどうですか?上越タイムズがNPOの人たちに紙面を提供している。しかし、そこまで行く必要はない。もはやメーンストリームだけでは、有用な、楽しい、生きた情報をすべてカバーできるわけではない。だから他のニュースサイトと連携し、協力しあう。リンクさせれば、いいだけです。

IWJ(Independent Web Journal: 岩上安身責任編集)とかアワプラ(OurPlanet-TV)、それからハフィントンポスト日本版など、メーンでは得られない情報を配信している。ハフィントンポストは、明白に「埋もれがちな声を、聴こえる声に」をスローガンにしている(朝日新聞と提携と銘打っているが、少なくとも紙新聞版では、それは感じない)。そこが大事なわけです。ボクが市民メディアに強く関心を払うのは、それが理由です。もう時代は一部のエリートがリードしていくのではなく、フラットな、相互連携を通して作り上げていく時代だと思うんです。

(この項は終わります)

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