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「人」自身がメディアであるという時代/筆甫地区でメディアについて考える③

hippo_photo0301  やや先回り気味に書いてしまいます。「ローカルとメディア」の関係について考えるには、ローカルに生きる人自身が「メディア」である事実をしっかり受け止める必要があります。伝統的なマスメディアの仕事スタイルは、ローカルに生きる人へのインタビューを通じて、彼あるいは彼女の有する情報を借り上げ、メディアラインに流通させることでした。ローカルに生きる人自身が実はメディアであることを認めようとはしませんでした。事実から目をそむけてきたといってもいいでしょう。メディア環境がシンプルで、マスメディアがあれば事が足りた時代ならともかく、ソーシャルメディアの質量がこれほどに高まってくると、そうは言っていられません。

筆甫地区を訪問し、吉澤さんや、フェイスブック上では「まるこ」のニックネームを使っている復興支援員の八巻眞由さん(22)=丸森町出身=と数時間、話をさせてもらっただけで、彼らがいかに優れたメディアであるかが伝わってきます。吉澤さん、八巻さんの表情や言葉から伝わってくるのは、マスメディア的な手法では真似のできない「自分ごと」です。

試しに筆甫のフェイスブックをご覧ください。ローカルに暮らす人自身が優れたメディアであるという意味が少しは分かっていただけるはずです。ローカルに暮らす人の情報の中身(コンテンツ)を、メディア環境がシンプルだった時代とは比較にならない規模と広がりで拡散するのがソーシャルメディアです。

ひっぽ筆まつり=写真=を1週間後に控えていた日、丸森町筆甫地区振興連絡協議会の事務局を訪問しました。折悪しく昼どきに重なったため、昼食をとってからにしようと思い、「ひっぽ森林のレストラン」の看板を頼りに車を走らせました。まちづくりセンターのある場所を過ぎて、さらに山手を目指しました。道路の左右を確認しながら進みましたが見つかりません。不思議に思いながらさらに行くと、森が深くなり、福島県伊達市との境を越えてしまいました。

「あのレストランは震災後休業しています。震災前は地区内に飲食出来る店が2店ありましたが、2店ともなくなってしまいました」

吉澤さんは、結局、昼食をあきらめたと聞いてそう説明してくれました。自己紹介を終え、インタビューを進めようとすると、突然、吉澤さんは「そばがあるんですが、食べます?」と言い出しました。 「原発事故で筆甫の人たちは郷土を大切に思う誇り、プライドを傷つけられました。震災から3年半が過ぎて、わたしたちにできるのは、その誇りを取り戻すことです。住んでいてよかったと思えるような地域を取り戻すことです。だからまつりを復活させました。緊急雇用でそば打ちする人を採用し、イベントを計画するのも、とにかく楽しんでもらうためです」

現在、筆甫のそば打ちを復活させようとそば打ちに取り組む職員が打ってくれたそばをいただきながらのインタビューとなりました。

hippo_change吉澤さん自身は仙台市出身。東京にあるNGO「日本国際ボランティアセンター」のインターンシップでタイの農村に1年間住んだ後、帰国。丸森町筆甫の人と自然に魅かれて2004年4月に移住。その後丸森町が町内8カ所の公民館(現「まちづくりセンター」)を民間に指定管理させるプランを知り、後に指定管理団体となる協議会の事務局長に応募しました。採用後、まちづくりセンターが始動する2010年4月までは町の臨時職員として仕事に携わりました。2011年3月に東日本大震災がやってきました。予想しない方向に事態が進むと同時に、事務局長としての責任も重くなりました。

「震災直後はマスメディアに取り上げてもらうために、問題を含んだトピックを集めて提供することに力を入れました」 震災直後、メディアの報道は福島原発や沿岸地域の被災に集中し、丸森の様子がメディアに取り上げられることは少なかったとの思いが、吉澤さんにはあります。

そんな経緯を聞いたうえで、協議会のフェイスブックをながめてみると、圧倒的にまちづくりの楽しさが伝わってくるように思えます。吉澤さんの下で地域支援に携わっている八巻さんも「まだ気持ちの上での不安は払しょくできません整理もできません。それでも、だいぶ落ち着いてきて、地域のことを考えられるようになりました」と話しています。

【写真】福島県との境

(次回に続きます)

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